中島 一族 発祥地

なかじまいちぞくはっしょうち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

東海道本線・名鉄 尾西線 一宮駅から西に5.6km、駒塚通沿いに赤っぽい碑が建っている。木がぼうぼうだった敷地が整理され、いつのまにか見通しがよくなった。

碑は昭和38年(1963) 10月20日に、冨田中島一族によって建立されたものとされる。碑文では、嵯峨源氏の流れをくむ中島監物宣長が承久の乱で朝廷方につき、敗戦後に旧領である現在の一宮市萩原町中島から逃れて冨田に住み、中島家を創立したことを由来としている。

一宮市域の中島氏は、尾張西部に勢力を持った在地領主である。平安時代末期から鎌倉時代にかけて尾張国在庁官人や地頭を務めた中島氏(中島一族)の本拠地であった。承久3年(1221) の承久の乱では朝廷方についたため所領を失ったが、のちに旧領を回復したことが『吾妻鏡』にも記されている。現在の一宮市萩原町中島には中島城址があり、中島氏の本拠地であったことを示している。

冨田の顕彰碑が伝えるのは、この中島氏の歴史と、その一族が冨田に定着したこととのつながりである。碑文によれば、冨田に住み始めたのは承久3年(1221) 6月5日とされ、その後、南北朝時代には中島城主であった中島蔵人源宗の後裔も当地に定住し、子孫が繁栄したことを記している。こうした由緒を後世に伝えるため、一族が祖先を顕彰して碑を建立したものである。

なお、冨田の中島家は近世以降も当地に続き、同地域に伝わる土人形にも中島家が関わっている。一宮市は「冨田の土鈴製作」を市指定の工芸技術としており、現在も中島家に伝わる地域文化の一端が確認できる。

写真


碑文

中島一族發祥地

地図

地図

一宮市冨田 付近 [ストリートビュー]