土岐源氏 発祥の地
ときげんじはっしょうのち
中央本線 土岐市駅から北東に1.2km、中央自動車道 E19 土岐I.C.から南に950m、大富館跡(土岐市泉大島町4丁目1)に石碑が建つ。
土岐氏は鎌倉時代から室町時代にかけて美濃国(岐阜県南部)を中心に勢力を伸ばし、室町時代には美濃国守護を務めた有力な武士の一族である。
土岐市泉大島町には、土岐氏ゆかりの居館跡、大富館跡がある。清和天皇の子孫である源頼光の子・頼国が、天喜5年(1057) に大富の地へ移り住み、その子孫が土岐氏を名乗った。このことより、土岐源氏発祥の地とされる。大富館は約300m四方の広大な敷地を持っていたと伝えられ、周辺には「伍所」という地名も残されている。
一方、土岐氏の初期の拠点については、現在の瑞浪市にあたる一日市場館も重要な史跡である。土岐氏の祖とされる土岐光衡がこの地に館を構え、土岐氏を称したと伝えられることから、瑞浪市は美濃源氏発祥の地として紹介している。
→ 美濃源氏発祥の地
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— タカシ (@Takashiume0620) October 19, 2026
写真
碑文
美濃國土岐源氏發祥地
大富館跡
土岐 章 書
大富館跡の由来
鎮守府将軍源賴光の子賴国が天㐂五年二月(約九百余年前)大富の里に住してより この地が 二百八十四年の長い間土岐氏の拠点となった
賴国の五世孫光衡は 文治五年賴朝より 当国の守護職に任ぜられ 土岐郡家(瑞浪)に移りて 土岐氏を号した
光衡の子光行 その子光定の二代は 大富館の対岸浅野に館を構えて移り住んだ
ついで光定の子賴貞は 当国の守護職となり 髙田勅㫖田(明世泉)の地頭を兼ねて 再び大富館に住んだ
そして 上河合村に巨刹定林寺を創建した
また かの正中の変のとき 後醍醐天皇の密㫖をおびた 日野資朝卿が この館で賴貞とともに 夜をとうして 討幕の密計をたてたところでもある
しかし 賴貞の子賴遠は 長森城(岐阜)に移り 土岐氏の本拠はこれより岐阜地方へ移っていった
現在地は その屋敷の西北角であって これより東南へそれぞれ三百米にもひろがる正方形の広大な敷地があった昭和三十一年五月九日 土岐市教育委員会は 史蹟として指定した
現在地 土岐市泉町大富字ナハテ一三八番地
(美濃源氏系図)
賴光――賴国――国房――光国――光信――光基――光衡――光行――光定――賴貞――賴遠――金華山に続く 以後岐阜碑文「美濃源氏発祥地大富館跡」は 土岐氏の末裔にして現在東京都に在住の元貴族院議員 土岐 章先生の記号によるものである
土岐源氏発祥の地
大富館跡 土岐市指定史跡清和天皇の子孫、
源 頼光 の一族(国房 の頃、約九百年前)がここ大富の里に住してから、この地は二百七十余年に渡 って土岐源氏の拠点となりました。
国房の四世の孫光衡 は、鎌倉幕府に仕え土岐氏を名乗り、後に神戸館 (瑞浪・一日市場 )に移って多くの庶流の祖となりました。
土岐光衡の子光行 は、大富館対岸の浅野に館を移しました。
光之の孫頼貞 は、室町幕府より美濃国守護を任じられ、再び大富館に住み巨刹定林寺 を創建しました。
現在地は館の西北角で、敷地は三百米四方の広大なものでした。(一社)土岐市観光協会
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