大分工業高等学校 発祥之地

おおいたこうぎょうこうとうがっこうはっしょうのち

「大分工業高等学校」は,明治35年(1902)に 別府浜脇両町の「組合立徒弟学校」として開校した, 大分県で最初の工業学校である。“徒弟学校”とは耳慣れない名前だが,明治27年(1894)に文部省が定めた“徒弟学校規程”に 「徒弟学校ハ職工タルニ必要ナル教科ヲ授クル所トス」とあるように,職人を養成する 実業学校であった。

別府地方には 伝統工芸として竹細工があった。明治後期に別府の温泉が開発されて 温泉客が増加するにつれ,竹細工はみやげ品として販売されるようになり,実用の工芸から美術工芸に切り替わった。そのため長期にわたる訓練が必要な細密な手工芸の技術者を養成するために,学校を創設することになったと思われる。 開校当初は,竹籃(たけかご)・指物・挽物・漆工・蒔絵の5教科だったが,その後 鈑金・建築なども 追加された。

明治43年(1910)大分県別府工業徒弟学校と改称して,大正4年(1915)に大分市東春日町に移転。

その後「大分県立工業学校」「大分県立大分工業学校」「大分第二高等学校」「大分春日高等学校」 などの校名を経て,昭和28年(1953) 「大分県立大分工業高等学校」と改称。
昭和54年(1979)に大分市芳河原台に校舎を新築して移転し 現在に至る。

日豊本線 東別府駅から 北西に500m。朝見川に架かる朝見橋のすぐ北側に,公衆浴場 住吉温泉(別府市松原町18-23)がある。この前庭に 「大分県立大分工業高等学校発祥之地」と書かれた 小型の石標が建っている。


住吉温泉のサービス向上のためか、石柱のあった場所は平らに舗装され駐車場になった。それに伴い、石柱は10mほど南の玄関前の植え込みに移設された。

写真

  • 大分工業高等学校発祥之地
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碑文

大分県立
大分工業高等学校発祥之地

別府浜脇両町組合立徒弟学校跡地
創立九十周年記念
一九九一年十一月吉日 建立

地図

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別府市松原町 付近 [ストリートビュー]