大鹿たばこ 発祥の地

おおしかたばこはっしょうのち

えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン(元 信越本線の一部)関山駅の北東3kmほどのところに、関川を渡る妙高中央橋がかかる。中央橋南詰には小公園があり、駐車場に面して石碑が設置されている。

かつて長崎から持ち帰られた種からたばこを栽培し、高田藩家老によって推奨されて広まった。さらに別の人物が山形から持ち帰った種からたばこ栽培を始めた。後にこの2種類は統合されたが、現在は周辺でごくわずか栽培されているのみで、大鹿ではたばこ栽培はしていない。

参考 相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記予備.zip

妙高村は、平成17年(2005) に妙高高原町・新井市と合併し、妙高市となった。

写真

  • 大鹿たばこ発祥の地
  • 大鹿たばこ発祥の地 碑陰
  • 妙高中央橋
  • 清流公園 案内

碑文

大鹿たばこ発祥の地

江戸時代の初期万治2年、大鹿の五郎左衛門が長崎よりたばこの種を取り寄せ大鹿の松原の地で栽培し、大鹿葉たばこと名付けたと伝えられている。その後高田藩家老小栗美作の熱心な勧めにより近隣へ広まっていった。
宝永の頃、花房の源右衛門が山形よりたばこの種を持ち帰えり花房葉として作り始めた。その後二つを合わせて大鹿たばこと呼んだ。
大鹿たばこは火力乾燥により、その刻みたばこのまろやかな味が愛煙家に喜ばれ、広く全国的にしられるようになったのだ。
明治三十一年に専売法が施行された後も昭和初期まで大鹿刻と印刷され売り出された。
郷土大鹿は二五〇年余の長きに亘り、たばこ耕作により営々たつきの道を立てて今日に至った古い歴史があったのである。
近年諸般の事情により、たばこ耕作者が減少の一途をたどりつつある現状は在る。
かかるとき、去る平成五年四月、山村留学妙高こども村十ヶ年の記録が新潟県異業種協して同組合の地域活性化大賞を受賞し、その賞金を大鹿たばこ発祥の地碑建立基金として提供する旨を大鹿自治協議会に申し出られた。
大鹿自治協議会、大鹿たばこ耕作者一同これに賛同し、併せ妙今日村の協賛を得て、妙高中央橋開通を記念してこの碑を建立し、永く後世に伝えるものである。

平成八年七月三日建之

妙高村長   宮澤英雄
大鹿自治協議会長   三橋真治郎
大鹿たばこ耕作者代表 望月作蔵
山村留学妙高子供村長 宮下 優

妙高村公民館大鹿分館長 宮下 勇敬書

施工(有)岩淺石材店

地図

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妙高市大鹿 付近 [ストリートビュー]