清閑寺窯 発祥の地

せいかんじがまはっしょうのち

京都駅から東に3km。東山ドライブウェイが国道1号 東海道から分かれて,ヘアピンカーブを曲がった北側に,清閑寺がある。寺の本堂前の庭に「清閑寺窯発祥の地」と書かれた木の駒札が立っている。

安土桃山時代ごろからの茶の湯の流行を背景として,それまで瀬戸などから供給されていた陶器は,需要の増大に応じて京都に窯を移して焼くようになり,“京焼”が産み出された。初期の京焼には,粟田焼・清水焼・音羽焼・修学院焼等があり,現在では“古清水”と総称される。

清閑寺窯については諸説あって詳細は不明な部分が多いが,江戸時代初期に清閑寺の僧・宗伯が寺内に窯を築き,やがて野々村仁清が宗伯の門に入り,これは清閑寺焼(別名 音羽焼とも)と呼ばれた。仁清は,後に仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開き,作品に“仁清”の印を捺し 自分の作品であることを宣言した。即ち 仁清は近代的な意味での“陶芸作家”としての意識をもった最初の陶工である。

さらに野々村仁清の技術は 尾形乾山等に引き継がれていった。

写真

  • 清閑寺山門
  • 清閑寺窯発祥の地
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碑文

清閑寺窯発祥の地

現在の京都市東山清閑寺 山ノ内町にあった古窯
江戸時代(一六一五-二四)に清閑寺住僧・宗伯が開窯した。
宗伯は,京焼の名工野村仁清の師でもあった。

地図

地図

東山区清閑寺山ノ内町 付近 [ストリートビュー]