渋谷区 近代学校教育 発祥の地 (2)
しぶやくきんだいきょういくはっしょうのち
以前は、明治通りを渋谷駅の反対側の南側まで行った渋谷警察署の向かい付近の歩道橋際やら緑地帯やらに設置されていたが、再開発工事の影響か、撤去されてしまったようだ。その代わりに、比較的開発工事の影響が少なく、より「発祥の地」としての正しい場所とされる宮益坂下の渋谷郵便局向かい付近に設置されたものではないかと推察する。
碑文の内容はもちろん同じですが、新たに書き直された。
2009ストリートビューには写っていないので、それ以降に建てられたものであることがわかる。
【リンク】渋谷区近代学校教育発祥の地
写真
碑文
渋谷二丁目20番先
渋谷区近代学校教育発祥の地
明治八年(一八七五)三月十五日に開校したとされる旧渋谷小学校は、中渋谷村の三井八郎右衛門、森島伝兵衛、野口清右衛門、鈴木喜代次郎などが中心となって、校舎の建設に尽力し、成富清風が提供した中渋谷二番地(明治通りと宮益坂の接するところ)の四百五十一坪の土地に校舎を建てたのがはじまりとされています。
明治五年の新学制に基づき第一大学区第三中学区第十九番渋谷学校という名で開校しました。渋谷区地域に初めてつくられた公立の小学校で、当初教員は校長を含め三人、生徒は八十四人であったといいます。
学校の維持費は、明治十二年の町村制施行によって村独自の予算をもって賄うまで、その捻出に困り、その維持費は宮益坂下の三井八郎右衛門の水車の利益をもってこれにあてたといいます。
その後、渋谷小学校は平成九年四月に生徒数の減少などから大和田小学校・大向小学校と合併することが決まり、その長い歴史に幕を下ろし、神南小学校として生まれ変わりました。
渋谷区教育委員会