献血 発祥之地

けんけつはっしょうのち

地下鉄 広尾駅から北西に500m。日赤医療センターの入口にある バスターミナル前の植込みの中に, 赤御影石製の背の低い石碑と, やはり赤い石で造られた地球儀のような球体のモニュメントが並んで建っている。

球状のモニュメントには「誕生日に献血を」と書かれていて, 献血発祥地碑の副碑らしいことが分かる。この碑の建立は「日赤中央血液センター」と「東京秋葉原ライオンズクラブ」の連名になっており, どうやら ライオンズクラブが「売血追放・献血100%達成」を記念して, 1977年ごろに建碑して寄贈したものらしい。

この碑が建てられた当時はここに「日赤中央血液センター」があったが, 血液センターは 2007年に 江東区辰巳に移転した。またこの敷地内は 現在大幅な再配置計画が進行中で, 看護大学や医療センターの建物の位置が変わったため, この碑が建っている場所も敷地の中央付近から 新設されたバスターミナルの現在地に移転された。

戦後、日本ではしばらくの間, 輸血される血液のほとんどが 民間血液銀行の集める売血血液に頼っていた。しかし輸血後の肝炎が頻発しており, 1964年にライシャワー米大使が暴漢に刺される事件の際に輸血によって肝炎を発症したことから問題視され, 売血を禁止してすべて日赤による献血血液に切り換えられることになった。

日赤による血液事業は, 1952(昭和27)年に「日本赤十字社東京血液銀行」として開始され, やがて「日赤中央血液センター」としてこの地 渋谷区広尾に移転した。
その後、薬事法改正により十分な安全性を確保するための業務の厳格化が必要となり, 2006(平成18)年に新社屋を江東区辰巳に新築し移転した。

余談だが, ここ広尾の「日赤医療センター」は 1891(明治24)年に「日本赤十字社病院」として飯田町から移転してきた施設で, 1972年に 日赤産院と統合して「日本赤十字社医療センター」となった。聖心女子大学の北に隣接する広大な敷地を有していたが, 1983年ごろ 敷地の東側半分を売却 (現在の「広尾ガーデンヒルズ」)し, なお敷地内には 医療センター, 中央血液センター(2006年 江東区辰巳に移転), 日赤看護大学などの施設がある, 緑豊かな広大な敷地であった。

ところが 2005年に, 老朽化した医療センターの改築資金を調達し, かつ医療センターの膨大な累積赤字を解消するために, この敷地の北半分を切り分け, ここに50年定期借地権付きの分譲マンションを建設する計画が発表された。マンション建設に反対する近隣の住民との間で 紛争が起きたが,結局 9棟からなる大規模マンション群が建設された。

写真

  • 献血発祥之地
  • 献血発祥之地
  • 献血発祥之地 部分
  • 献血発祥之地 背面
  • 献血発祥之地 背面
  • 日赤医療センター
  • 献血発祥之地(2010)
  • 献血発祥之地(2010)
  • 日赤医療センター(2010)
  • 献血発祥之地(2017)
  • 献血発祥之地(2017)

碑文

献血発祥之地

日本赤十字社 中央血液センター
東京秋葉原 ライオンズクラブ

宇野敏郎謹書

誕生日に献血を

地図

地図

渋谷区広尾4丁目 付近 [ストリートビュー]