日本赤十字社 発祥之地

にっぽんせきじゅうじしゃはっしょうのち

鹿児島本線 玉名駅から北東に約1km。玉名女子高等学校(玉名市岩崎1061)の敷地内に 灰色の石に金色で文字を刻んだ石碑がある。正門から入り校舎を2つほど通り抜けた裏の方にあり, 先生に案内していただいてようやく写真を撮ることができた。

この場所は 西南戦争当時, 臨時の県庁がおかれた場所で, 日本赤十字の創立者 佐野常民が熊本県知事(当時は県令と呼ばれた)とこの地で戦傷者の救護について協議したと言われる。

熊本地方(肥後国)は, 1871(明治4)年に廃藩置県が行われて 熊本県・人吉県の二つの県になり, その後 熊本県と八代県 → 白川県と八代県 → 合併して白川県と名称が変わり, 1876(明治9)年に熊本県となった。碑文には“白川県”云々と書かれているが, 西南戦争は 1877(明治10)年の2月から9月にかけて行われたはずで, その時は既に“熊本県”となっていたように思うのだが...

移設

2019年にストリートビューで確認したところ、あるはずの場所に無く、確認してみたところ校門を入った正面に学校創立者 新穂にいほ登免とめ像と並んで設置されていた。

玉名女子高等学校予備.pdf

地図は新しい写真が手に入るまでは学校裏手を指し示します。

写真

  • 日本赤十字社発祥之地
  • 日本赤十字社発祥之地 背面 碑文

碑文

日本赤十字社
発祥之地

玉名市長 橋本二郎書

明治十年西南役の戦火を避けた白川県は その庁舎をこの地にあった旧高瀬藩邸の跡に移していた 勅命を奉じて戦況を見に来た佐野常民は 県令高岡敬明と会い悲惨な戦傷者の救護をする爲博愛社(後の赤十字社)設立について徹宵謀議したと謂われている
故老相語り相傳えて今日に至るも今や星移り人去って標識失せ遺跡又消滅しようとしている ここに碑を建てて後世に殘す所以である

昭和五十一年十二月一日

日赤玉名市地区長      橋本二郎
日赤熊本県支部現地救護班長 吉田春雄
玉名女子髙等学校青少年 赤十字團

地図

地図

玉名市岩崎1061 付近