日本最初の洋式病院

にっぽんさいしょのようしきびょういn

 
撮影:
2020年1月(写真 まさ・なち さん)

大分駅の北東700m。城址公園から南に伸びる 大手通り(大分県庁の西側)の中央部分は細長い公園となっていて 遊歩公園(大分市府内町3丁目10)と呼ばれ,数多くの彫刻や石碑が建てられている。

その一つ、大手町二丁目交差点南側の島の一角にある、人物の周りに子供と乳搾りの場面を描いたレリーフの埋込まれている「育児院と牛乳の記念碑」と題された碑がある。

江戸時代に至る戦乱期で、子供を産んでも困窮状態で捨ててしまう者が多いことに心を痛めた宣教師アルメイダが、捨てられる子供を集め、牛乳で育てる育児院をこの府内地区に設立した。

リスボン生まれの医学士アルメイダは、乳児救済にいたるまで、病院を設立し、一般の貧しく傷ついた大人たちも救済していた。そして、その病院において日本で最初の西洋医術の発祥となるのである。

写真

  • 日本最初の洋式病院
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  • 日本最初の洋式病院 碑文

碑文

育児院と牛乳の記念碑

こゝ府内(大分市)に日本最初の洋式病院を建てたポルトガルの青年医師アルメイダは、わが國に初めてキリスト教を伝えたザビエルが去って3年後の1555年(弘治元年)には既に府内に来ていた。
当時日本は戰乱が続き、國民の中には貧窮の余り嬰児を殺す風習があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳で育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。
この史実を顕彰するため、わが社は創業9周年記念事業として日本芸術院会員円鍔勝三先生に委嘱してこの碑を作り大分市に送る。

昭和48年10月31日

㍿マリーンパレス 社長 上田 保

地図

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大分市府内町1丁目 付近 [ストリートビュー]