日本初 洋式 帆船 建造の地

にっぽんはつようしきはんせんけんぞうのち

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伊東線・伊豆急行線 伊東駅の東方、伊東大川の河口右岸の小公園 按針メモリアルパーク(伊東市渚町6)に、三浦按針(ウィリアム アダムス)にまつわるオブジェクトが設置されている。近くには説明板もある。慶長9年(1604) 頃、徳川家康の命により80tの洋式帆船を建造したという。

写真


碑文

日本初 洋式帆船建造の地

〜日本初 洋式帆船建造の地〜
The place where Western style sailboats were built for the first time in Japan
〈徳川家康とウイリアム・アダムス(三浦按針)〉

英国人ウイリアム・アダムスは、オランダ船リーフデ号の航海長として東洋探検に出航したのですが、嵐のため1600年(慶長5年)に九州大分県臼杵市黒島沖あたりに漂着しました。
日本では徳川家康の天下が確定的となる時期で、アダムスは家康に大坂城で拝謁(はいえつ)し、外交顧問として重用されます。慶長8(1603)年、征夷大将軍となった徳川家康は、江戸の大規模な修築を進め江戸開府を果たします。外交では、海外との貿易を進めるためにアダムスに洋式帆船建造を命じ、イギリスとの国交を開きました。
このころ、伊東の中心部を流れる松川の河口は港として栄えた歴史があり、造船地としても有名な場所でした。徳川家康の命を受けたアダムスは、この好条件を生かして日本初の洋式帆船二艘をここで建造します。
伊東で建造された洋式帆船のうち一艘は、サン・ブエナ・ベンツーラ号(幸せを運ぶ船)として、千葉県御宿沖で難破して日本にいた、スペイン領フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴの帰国のため徳川家康から貸し与えられ、メキシコへの航海に使われました。
その答礼として、スペイン国王から時計が贈られ、その時計は、久能山東照宮に現存しています(写真参照)。
徳川家康は、ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)に横須賀市逸見に領地を与え家臣とし、海外への渡航も許すなど、青い目のサムライとして、大航海時代を共に歩んだのです。
家康亡き後、アダムスは中国との交易のためトンキンに航海し、1620年(元和6年)平戸で56歳の生涯をとじました。

(牧野 正 著「青い目のサムライ」から)伊東市教育委員会 協力
伊東按針会

<Tokugawa Ieyasu and William Adams (Miura Anjin)>

William Adams, a British man and the sailing master of a Dutch ship "De Liefde",started on a voyage for the exploration of the Orient. A storm, however, forced the ship to cast anchor on Kuroshima in Usuki, Oita prefecture in 1600, when Ieyasu Tokugawa was about to ...

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