但馬文化 発祥の地

たじまぶんかはっしょうのち

山陰本線 豊岡駅からバスで南東に約30分(江原駅からバスで東に約30分)ほどの場所にある、出石《JR山陰いずしそばで有名な出石町。お蕎麦屋さんや土産物屋さんが軒を連ねる中心に、出石町役場(現 豊岡市総合支所)近くに20mほどの高さの木造の塔ががあり、その脇に出石の紹介が書かれた看板がある。

その冒頭には、古事記や日本書紀にも登場するほどの長い歴史があり、中世には城下町として繁栄したことで、文化の発信地であったと書かれている。

なお、辰鼓楼しんころうとは辰の時を太鼓で告げる櫓として建てられた。後に、明治14年(1881)、出石で開業していた医師が大時計を寄付し、それ以降 時計塔となった。これは札幌時計塔建設と同じ年で、日本最古の時計塔のひとつである。石垣は、出石城の三の丸の石垣がそのまま利用されている。

ほかに、磁器 出石焼、出石焼の小ぶりな白磁器に小さく盛られた出石そばなど、繁栄していたからこそ生まれたと思わせる文化的生活があったようです。

写真

  • 但馬文化発祥の地 辰鼓楼
  • 但馬文化発祥の地
  • 但馬文化発祥の地
  • 但馬文化発祥の地 辰鼓楼
  • 豊岡市総合支所
  • 出石の中心街

碑文

城下町 出石いずし

出石町は但馬文化発祥の地として古事記、日本書紀にもその名が見え、中世には山名宗全一族の本拠地として200年間反映を誇り近世は小出松平、仙石氏ら58000石の城下町として但馬に並びなき繁栄を極めました。

2000年の歴史に薫る文化遺産の数かず井然とした街路、美しい山河のたたずまいなど出石が但馬の小京都といわれるゆえんです。

(略)

地図

地図

出石町 付近 [ストリートビュー]