浦添の 学校 発祥の地
うらそえのがっこうはっしょうのち
浦添中学校(浦添市仲間2丁目46番1号)校門横。
参考:結~つなぐ、ひらく、つむぐ~(予備.zip)
写真
碑文
浦添間切番所跡
浦添郵便局 北側 からこの辺 りにかけては、かつて浦添間切の番所 がありました。『間切』とは現在 の市町村 に相当 する琉球王国 時代 の行政 区画 のことで、『番所』は今日(こんにち)の役所 にあたります。番所には地頭代 をはじめとする地方 役人 が置 かれ、首里王府 の命 を受 け、間切内 の行政を担 いました。また、国王の普天満宮 参詣 の際 には休憩所 に利用 されました。1881年(明治14)に訪 れた上杉 茂憲 県令 (今でいう県知事)の記録 によると、番所は門 を南西 に構 え、老松 が枝 を広 げ、フクギ、ソテツが植 え連 ねられているとあり、植裁 のゆき届 いた美 しい施設 であったことがわかります。番所は、1897年(明治30)に間切役場 、1908年(明治41)には村役場と改 められ、沖縄戦 で損壊 するまで浦添の行政の中心施設 でした。なお、1882年(明治15)には浦添 小学校 が敷地内 に開校 し、浦添の学校 発祥 の地 としても重要 な場所 です。