吉春学校 発祥之地
よしはるがっこうはっしょうのち
東武野田線 七光台駅から西に700m。県道17号結城野田線 流山街道に面して三角形の林地がある。ここが菅原神社(野田市吉春870)で、神社の境内鳥居の近くに、高さ1.5m程の石碑が建っている。
菅原神社は、写真ではなかなか立派に見えるかもしれないが、広い境内はあまり手入れがよいとは言えず、薄暗く淋しい雰囲気。
「吉春学校」がこの地に設立されたあとどうなったかを調べてみたのだが、さっぱりわからない。碑文にはちょっとしたエピソードなどが書かれているだけで、その後の歴史は不明。現在近くには北部小学校・七光台小学校などがあるが、学校の沿革などが公表されていないので、つながりは不明である。
「吉春学校」は現在のどの小学校にどのような形で引き継がれているのだろうか。
追記 2016.3
読者T様が、野田市立北部小学校のページをご紹介くださいました。確かにそれっぽい感じのことが書かれています。なんとなく正確さに欠ける気がしてもやもやしますが、たしかに北部小学校の出発点だったと言えるでしょう。
【リンク】野田市立北部小学校 - 沿革
写真
碑文
𠮷春学校発祥之地
昭和五十九年四月廿三日
明治六年に五十九番小学区連合で吉春に学校を設立する時 入学の時期は 格別定まっていないが正月二十五日天神講(菅原道真公を祀る縁日)を中心として十一日 十五日が多かった また修業年限にも制限がなく 七八才の■■■多く十五歳 となって若衆の仲間入りをし成人の扱いを受けるまで断続的に学ぶのであるが その多くは中途退学をし三年或は五年の修業で父兄の希望する学力が つかない中に退くものが多かったと言われている 宮司 堀越明 建之