竹生島流 棒術 発祥之地

ちくぶしまりゅうぼうじゅつはっしょうのち

琵琶湖の竹生ちくぶ島に宝厳ほうごん寺という寺がある。寺の本堂の 右手前に 不王明王像と並んで「竹生島流棒術発祥之地」と書かれた石碑が建っている。

竹生島は琵琶湖の北部に浮かぶ小島で,東西350m・南北800mほどの大きさ。全山が針葉樹に覆われ,古くから信仰の対象になった島で,宝厳寺と都久夫須麻つくぶすま神社(竹生島神社)があり,国の史跡・名勝に指定されている。現在は無人の島で,寺や神社や土産店の関係者は外部から船で通っているという。

「棒術」とは,長い棒を武器とする武術のことで,多くは6尺前後の木の棒を用いる。棒と棒の撃ち合いの他に,棒と剣・薙刀・槍などの武器と組むこともある。棒術の流派は数多く、「神道夢想流杖道」など「杖術」「杖道」と称するものもある。

「竹生島棒術」は,平安時代の末期に難波平治光閑なんばへいじみつのりという人物が竹生島弁財天に参拝し“難波流長刀術”を夢想奉得した。源平合戦の折に,戦いの最中に薙刀の込本(刃の付け根)から折れ 柄のみの棒で戦ったことから「ひとえに弁才天の冥恩みょうおんである」として,「竹生島流」と名づけた,と伝承されている。

第3代宗家により出羽庄内に伝えられ,江戸時代は庄内藩で伝承された。太平洋戦争後,第17代が長崎県大村市に移住したことにより大村市に伝えられ,現在は大村市に竹生島流の本部がある。

この発祥碑は,流祖難波平治光閑の800年祭を記念して 1997(平成9)年に建立された。

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  • 竹生島流棒術発祥之地

碑文

竹生島流棒術発祥之地

由来記

竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑と言う人で竹生島辨才天を信心し長刀一流を夢想奉得し源平合戰に出てその長刀で能く働きを極めたが戦の最中長刀の込本から折れその柄を長刀の手で遣い大勢を討取ったと言う是れから棒術を編み出し辨才天の冥恩であるとして竹生島流棒術と称した棒術の前身の長刀は難波流と言う

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