富良野平原 開拓 発祥之地

ふらのへいげんかいたくはっしょうのち

 
撮影:
2006年5月
2023年12月(写真 まさ・なち さん)

富良野線 上富良野駅の北側。 上富良野駅から線路沿いに北上し,“西3線”という道路に入り 踏切を越えると, 右側の畑の中に「富良野平原開拓発祥之地」と書かれた塔状の碑(看板)が目に入る。 周囲は一面の畑で, 写真を撮るためには あぜ道伝いに近づくしかない。発祥碑の隣に「憩の楡」と刻まれた小型の石碑が建っている。

富良野は北海道でも最も内陸部にあり, 交通路が整備されなかったため 入植されたのは遅かった。
明治30年(1897), 三重県人 田中常次郎の率いる8名が 開拓のため富良野の原野に入った。 樹木が少ないススキの原野で, 一本のニレの木があり 一行はここで野宿した。 やがて 100戸前後の入植者が入り, 富良野原野の開拓の手掛かりを作った。これを記念して ニレの木は「憩の楡」と呼ばれるようになり 富良野開拓の象徴となっていたが, 昭和30年ごろに台風で倒れ、今はない。

大正15年(1926), 東の十勝岳の噴火による泥流が上富良野一帯を覆い尽くし, 100名を超える犠牲者が出た。この事件を扱った 三浦綾子の小説『泥流地帯』の文学碑が 近くの草分神社にある。


当ページの写真は平成18年(2006) で、それでもそれなりにみすぼらしいが、どうやらその後に再整備されたようだ。

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写真

  • 富良野平原開拓発祥之地
  • 富良野平原開拓発祥之地
  • 富良野平原開拓発祥之地 側面
  • 憩の楡碑 側面
  • 憩の楡碑
  • 118富良野平原開拓発祥.jpg
  • 憩の楡碑 背面
  • 憩の楡碑  説明駒札
  • 富良野平原開拓発祥之地(2023)
  • 富良野平原開拓発祥之地 遠景(2023)
  • 富良野平原開拓発祥之地(2023)
  • 憩の楡 (2023)
  • 富良野平原開拓発祥之地 (2023)
  • 憩の楡 背面 (2023)

碑文

富良野平原
開拓発祥之地

明治三十年四月十二日入植
昭和四十八年十一月建立

憩の楡

衆議院議員
吉田貞次郎題

維持明治三十年四月十二日三重県人田中常次郎氏ヲ団体長トスル氏一行八名ハ本道開拓ヲ志シ人跡未踏ノ此地ニ到リ具ニ踏査日没ニ至ル
偶々此處ニ楡ノ一樹アリ一夜其ノ木ノ下ニ明カシ爰ニ永住ノ計ヲ樹テラル即チ沿線発祥ノ地ニシテ今ヤ開村五十年ヲ閲ス茲ニ先駆者諸氏ノ功勞ヲ記念シ碑ヲ建テテ後昆ニ傳フ矣

昭和二十一年四月十二日建立

上富良野村長 金子 浩
仝 農業會長 田中 勝次郎

地図

地図

上富良野町 付近