五島初の 鉄筋コンクリート造り
てっきんこんくりーとづくり
五島列島 久賀島の南西の端の海が見える丘にある浜脇教会(五島市田ノ浦町263)敷地にある説明板に書かれている。
写真
碑文
浜脇教会 五島初の鉄筋コンクリート造り
久賀島で最初の本格的木造教会は役目を終えて
寛政念願に大村藩から移住した潜伏キリシタンは、
久賀島 では上平 、細石流 、永里 、幸泊 、外輪 、大開 などに落ち着きました。
1866年(慶応2)ごろ、久賀島の潜伏キリシタンたちの耳にも歴史的な長崎の信徒発見のできごとや、プティジャン司教の情報が入ってきました。先祖代々伝えられていた、待ちに待ったパードレ(カトリックの司祭)の出現に、危険も顧みず久賀島から密かに長崎に渡り、プティジャン司教自らキリシタンであることを公言する信徒が次々に現れました。このことが久賀島牢屋の窄 殉教事件へと発展したのです。その久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年(明治14)に建立されたのが、最初の浜脇教会です。外観はまったくの和風建築でしたが、内部は三廊式、板張りのリブ・ヴォールト天井による空間構成、ゴシック風祭壇など、本格的な教会建築様式の立派な教会でした(現旧五輪教会堂)。
木造の教会は潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の数に対応できなくなり、1931年(昭和6)、台風にそなえて堅牢さを求め、五島初の鉄筋コンクリート造りの教会に建て替えられ現在に至っています。