生コンクリート工場 発祥の地

なまこんくりーとこうじょうはっしょうのち

京成線 押上おしあげ駅近く、京成橋に向かい合う 京成電鉄本社ビルの西側に 複数の生コンクリート工場がならんでおり、その一つ 東京エスオーシーの道路に面した側に 発祥碑が建っていた。しかし東京スカイツリー等の開発により、町の様子が一変。コンクリート工場群もきれいに姿を消し、ナウい商業施設の並ぶ地域となり、碑はスカイツリータウン南面 荷捌場B出入口の近くの壁際に移設された。碑文は移設にあたり嵌め換えられた。

かつて コンクリートは、セメント・砂・水を建築現場で混ぜて作っていたが, 磐城セメント㈱(当時)が 1949(昭和24)年に 東京コンクリート工業㈱を設立し, 工場でコンクリートの製造を行い 専用の運搬車で 建築現場に運搬する, いわゆる 生コンクリートの工場生産が始まった。

初期には ダンプカーで運搬していたが, 運搬途中に生コンの分離が起こるため 現場で練り直すなどの手間をかけていた。その後 現在使われている ミキサー車が開発されて 1952(昭和27)年ごろから使用されるようになり, 生コンが急速に普及した。碑には当時のものと思われるアジテータ(ミキサー車)の写真のレリーフもはめ込まれている。

ちなみに、碑文にある「150N/m㎡のコンクリート」とは、超高強度のコンクリートで、1㎡あたり15300tの力で押しても大丈夫という意味。実際の用途はそれほど無い。生コンクリートは “レディーミクストコンクリート”、さらに省略されて“レミコン”などとも呼ばれるが, 一般には“生コン”と略称されることが多い。

写真

  • 生コンクリート工場発祥の地
  • 生コンクリート工場発祥の地 背面 無地
  • 生コンクリート工場発祥の地
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碑文

生コンクリート工場
発祥の地

戦後、わが国のセメントが統制下にあった時代、昭和24年11月この地に日本で初めての生コンクリート製造会社が操業されました。
それまでの施工方法に比べ、簡便で工事費が安価であることから、生コンクリートは道路・軌道工事を中心に急速に広まり、わが国の高度成長期を支えてきました。
ここに生コンクリートの発祥の地を記念するとともに、今後も社会基盤を支えていくことを願い、記念碑を建立いたします。

住友大阪セメント株式会社
東京エスオーシー株式会社
平成24年5月

この碑は東京エスオーシー株式会社が50周年記念として平成11年11月に業平橋工場にて強度150N/m㎡のコンクリートで作成・設置していたものを、東京スカイツリー建設にあたり、再設置したものである。

地図

地図

墨田区業平2丁目 付近 [ストリートビュー]