三菱 製鋼所 発祥の地

みつびしせいこうしょはっしょうのち

画像求
撮影:
どなたか見てきてください!

長崎電気軌道 茂里町電停のすぐ西、長崎文化放送(長崎市茂里町3-2)建屋の南東隅に、道路に向って石碑が建つ。

写真


碑文

三菱製鋼所発祥の地

三菱製鋼株式会社昭和十七年この地に産声をあげ、白亜の本館ビルが屹立していた。
昭和二十年八月九日原子爆弾が長崎市に投下された。本館ビルは爆心地の近くだったが、数千度に達する熱戦爆風に耐え数千百人の犠牲者と設備の全滅にもめげず、厳として立ち尽くし、あの瓦礫と焼け野原の中にただ一つ残った飛瀑ビルとして長崎市の復興と繁栄を見つめてきた。
昭和五十年同社から分離独立した三菱長崎機工株式会社の本社ビルとして使用されてきたが、時あたかも昭和から平成の時代に、長崎市の斡旋により長崎文化放送株式会社へ譲渡が成立、元年四月、五十年に及ぶ歴史の幕を閉じ解体された。
ここに眠る数多くの御霊への鎮魂と原爆の惨事が二度と繰り返されることなく、この地が長崎市民の文化発展の源として再生されることを祈念して、この碑を建立する。
記念碑の建立を快くお引受頂いた長崎文化放送株式会社に心から感謝する次第である。

平成二年四月吉日

三菱製鋼株式会社
三菱長崎機工株式会社

地図

地図

長崎市茂里町 付近 [ストリートビュー]