海援隊 発祥の地
かいえんたいはっしょうのち
長崎電軌 西浜町停留所の北120m。中島川に架かる銭橋の 西 東詰、アーケード街から横断歩道を渡った所に, 路面電車の線路と川に挟まれるように石碑が建っている。
海援隊は 江戸時代の末期, 慶応元年(1865) に, 土佐藩脱藩浪士であった坂本龍馬らによって 組織された「亀山社中」に始まる。勝海舟による 海軍操練所の解散に伴い, 航海術などを学んでいた浪士等が参加した亀山社中は, 私設海軍と商社の性格を持ち、日本で最初の株式会社であったと言われる。
2年後慶応3年(1867) に土佐藩をスポンサーとして運営されるようになり, 名称も「海援隊」と改称された。 海援隊は武器などを薩摩藩名義で購入して長州へ流すなどして, 険悪であった薩摩と長州の関係修復を仲介する役割を果たし, 薩長連合のきっかけとなった。慶応3年(1867) 秋 坂本龍馬が暗殺された後, 海援隊は求心力を失い後藤象二郎によって 「土佐商会」となった。その後を土佐商会の社員であった岩崎弥太郎が発展させ, 「九十九商会」などを経て郵便汽船三菱会社となり, 後に郵船三菱会社, 日本郵船に引き継がれて行った。
かつてこの場所の近くに「亀山社中跡」が公開されていたが, 現在は閉鎖され, 代わりに亀山社中資料展示場に亀山社中・土佐商会・坂本龍馬の遺品などが展示されている。
後に、銭橋の親柱脇から電車側に数メートル移動した。
また、平成30年(2018)には、西浜町電停は2つあることがわかりにくかったため、銭橋横のアーケード入口の電停のみ「浜町アーケード」と名称が変更された。
写真
碑文
海援隊発祥の地
土佐商会跡
昭和44年10月建之 長崎市長 諸谷義武
海援隊 発祥の地土佐 商会 跡 Site of the former Nagasaki branch of Tosa Shokai Co. founded in 1866
가이엔타이 발상지 토사상회터
海援队发祥地 土佐商会旧址四国の土佐藩は慶応2年(1866)に藩の経済活動を盛んにするため, 藩営の土佐商会を設けた。ここはその長崎出張所の跡である。
ここで藩の産物を売り, 西洋の武器を購入した。
後に三菱造船所を興した岩崎弥太郎は, 主任として駐在し, 坂本龍馬の海援隊もここを拠点として活動した。