博愛社 発祥縁起の地

はくあいしゃはっしょうえんぎのち

鹿児島本線 木葉このは駅の500m北東に,国道208号に面して浄土真宗 正念寺(玉名郡玉東ぎょくとう町木葉750)がある。寺の山門を入って左手に「博愛社発祥縁起の地」と書かれた石碑があり,その奥には「博愛」と書かれた碑と西南戦争での官軍と薩摩軍両方の戦没者菩提碑がある。玉東町は 西南戦争の際の激戦地であった田原坂たばるざかに近く,ここ正念寺と徳成寺などに官軍の野戦病院が置かれた。正念寺門前には官軍病院阯碑もある

おびただしい数の負傷者や死者に心を痛めた元老院議員・佐野常民らは,欧州滞在時に見聞した国際赤十字社の精神にならって,敵味方の区別なく戦場で負傷した兵士を治療する 「博愛社」の設立を政府に申請した。しかし“敵味方の区別なく救護する”という博愛の精神は理解されず不許可となった。

その後 現地の征討総督であった有栖川宮熾仁たるひと親王に直接設立を請願し許可を得て,1877(明治10)年に熊本洋学校に博愛社が設立された。その結果,ここ正念寺に救護所が開設されて敵味方双方の負傷兵を収容し手当てが行われた。 このことから、町全体が赤十字の発祥の地と言われている。

博愛社は 1887(明治20)年に「日本赤十字社」と改称された。

写真

  • 博愛社発祥縁起の地
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碑文

博愛社 発祥縁起の地

地図

地図

玉名郡玉東町木葉 付近