鳩間小学校 発祥の地
はとましょうがっこうはっしょうのち
石垣島の西に西表島が、そこから7km北に鳩間島がある。島の南の海岸近くにある公民館(コミュニティセンター)の敷地内に、道路に面して茶色の自然石に「鳩間小学校発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。
鳩間島は周囲4Kmほどのほぼ円形の小さな島で、徒歩でも1時間弱で一周できる。
元禄15年(1702)に50人ほどの人が移り住んできたのが最初の住人とされ、大正・昭和初期にカツオ漁が盛んになると 人口は800人ほどになり、郵便局も設置された。昭和23年(1948)に灯台と無線電信局が設置されたが、電話が使えるようになったのは昭和41年(1966)になってからである。
小学校ができたのは 明治29年(1896)で,「大川尋常小学校鳩間分校」は 現在公民館のあるこの地に設立された。「鳩間小学校」が独立して 名前から“分校”の文字がなくなったのは,明治40年(1907)だった。戦後は中学校ができたため「鳩間小中学校」となって,この地から約300m東の場所に移転し,現在に至っている。
鳩間小学校は昭和の半ばごろまでは児童数も多かったが,近年 鳩間島の人口は 50人前後となり 当然子供の数も非常に少なくなっている。1980年代はじめに 小学校の在校生が1人だけになり,廃校の声が起きたことがあったが,全国から離島留学生を招き“里子”として島民があずかる制度を始めて,廃校を免れた。
このことは『子乞い-沖縄孤島の歳月』(森口豁著)という本で紹介され,この本を原案として 平成17年(2005)にはドラマ『瑠璃の島』が NTV系列で放映され,鳩間島は一躍有名になった。
平成21年(2009)にも中学校の在校生がゼロになって 一時休校状態になったが,翌年には転入生が入り,小学校4人・中学校2人になっているという。
写真
碑文
鳩間小学校発祥の地
比の麗しき鳩間島に
父母よ安かれ友よ待て
学びの業の成るときに
錦飾りて帰るまでかつて番所があり鳩間島における庶民教育の発祥地でもある此のゆかりの地において明治二九(1896)年六月一九日に大川尋常小学校鳩間分校が設置された由緒ある母校の校史を讃えるとともに学問と平和と故郷を愛したかっての少年・少女たちにとって此の地が心のふるさとであることの証として永く記憶にとど めてもらうべく創立百周年を記念して本碑を建立する
平成八(1996)年六月一九日吉日
卒業生同窓生
沖縄在小鳩会