法政大学 発祥の地
ほうせいだいがくはっしょうのち
御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口から南に150m。名大通りに面する杏雲堂病院の前の歩道上に「法政大学発祥の地」と書かれたやや大きめの碑が建っている。
法政大学の歴史は,明治13年(1880) にこの地に設立された「東京法学社」に始まる。「東京法学社」は,明治維新後 急速な近代化を進める中,高度な法律専門家を養成する目的で創立され,法律を講義する“講法局”と弁護士事務所の機能をもつ“代言局”が置かれるという ユニークな組織であった。
明治14年(1881),規則の改正により教育機関が弁護士事務所を併設することができなくなったため,講法局が独立して「東京法学校」と改称した。
明治22年(1889) に「東京仏学校」と合併して「和仏法律学校」と改称。
大正9年(1920),大学令により私立大学の設置が許可され「財団法人法政大学」となる。
大正10年(1921),麹町区富士見町4丁目(現在地) に校舎を新築し移転。
昭和24年(1949),新制大学「法政大学」となり,現在に至る。
発祥碑に添えられた地図によると,「東京法学社」が設立された場所は,碑から100mほど東(杏雲堂病院の東)の,現在日大病院がある場所であるという。
写真
碑文
法政大学発祥の地
法政大学の前身である東京法学社は,一八八〇(明治十三)年四月,旧駿河台北甲賀町十九番地池田坂上(現在,千代田区神田駿河台一丁目八番十三)に設立されました。
翌年五月,東京法学社の講法局が独立して東京法学校となり,その開校とともに日本近代法の礎を築いたフランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まりました。
その後,和仏法律学校を経て,一九〇三年八月,法政大学と改称されました。二〇一一(平成二十三)年五月 建立