以文会 発祥之地

いぶんかいはっしょうのち

外房線 御宿駅から 北に1km。千葉県道174号から北に500mほど入ったところに おちちや(いすみ市上布施1129)という古民家カフェがある。この店に通じる狭い道を入っていくと,入口に「以文会発祥之地」と「薫陶学舎跡」という 2本の石碑が建っている。

「以文会」は 千葉県の夷隅いすみ地方に結成された 自由民権派の政治結社で,明治12年(1879) に結成され 昭和初期まで活動したが,大政翼賛会の結成に伴い 昭和15年(1940) に解散に至った。以文会の主宰者である 井上幹は,豪農の子として生まれ, 以文会の教育機関としてこの地に“薫陶学舎”を設立して人材の育成にあたり, また産業結社“精農舎”を設立して農業の改革を目指した。

以文会は 豪農層から一般農民層まで広く支持されて会員700名と勢力を拡大したが,政府の弾圧を受け井上は 明治17年(1884) に“夷隅事件”によって逮捕され,4ヵ月の重禁固刑を課せられ翌年釈放されたが,この間に体を壊し、明治19年(1886) に33歳の若さで死去した。

“おちちや”は 築300年といわれる古い農家を改装したカフェで,遠くからは寺院と見間違えるほどの大屋根を持つ建物の一部を使って,毎週土曜日に 昼の5時間だけ営業するというユニークな店。

写真

  • 以文会発祥之地
  • 薫陶学舎
  • おちちや
  • 以文会発祥之地 背面
  • 以文会発祥之地 側背面
  • 薫陶学舎跡
  • 以文会発祥之地

碑文

以文会発祥之地

 明治十二年二月,井上幹,君塚省三,久貝潤一郎,高梨正助,松崎要助  等夷隅の自由民権結社 以文会を結成す。 豪農層出身の民権家,正副戸長ら数十名が集まって会則を定めた。 井上幹は嘉永六年六月六日生れ明治十九年五月七日歿す。享年三十三。

平成九年三月  大原町文化財保護協会

大原町は平成17年(2005)に夷隅町、岬町と合併し、いすみ市となった。

地図

地図

いすみ市上布施 付近