碑小学校 創立之地

いしぶみしょうがっこうそうりつのち

東急 東横線 都立大学駅から 西 東に800m。すずめのお宿緑地公園の東隣に碑文谷八幡宮がある。神社境内の参道東寄りに 低い柵に囲まれた石碑が建っている。

碑小学校は,明治12年(1879) に ここ八幡神社の境内にある建物を校舎として 「東京府第二中学区三十七番公立学校」として開校した。“碑”という校名は 碑文谷村(当時)の頭文字をとって命名された。碑文谷村における就学率は 開校翌年で 37%と あまり高くなかったという。(学齢者数 334名,就学数 86名)

その後「碑尋常小学校」と改称。明治25年(1892) 現在地碑文谷1丁目に校舎を新築し移転。周辺の宅地化が進んだため児童数は増加の一途をたどり,昭和4年(1929) の開校50周年の時には 40学級・2500名の規模となり,さらに増加したため いくつもの小学校が新設されて分離していった。その後は「東京市碑国民学校」を経て,昭和22年(1947) に 現在の「目黒区立碑小学校」となった。

写真

  • 碑小学校創立之地
  • 碑小学校創立之地 碑陰
  • 碑文谷八幡

碑文

碑小学校創立之地

明治十二年一月二十日 此の地に創立さる

碑小学校創立八十五周年記念事業後援会

昭和卅九年一月廿日 建之

地図

地図

目黒区碑文谷3丁目 付近