開成学園 発祥の地
かいせいがくえんはっしょうのち
御茶ノ水駅の南東200m、淡路公園の北隅の植込みの中に石碑が建っている。
幕末の進歩的な知識人であった佐野鼎は, 万延元年(1860) に 勝海舟・福沢諭吉らと共に 遣米使節の一員として渡米。さらに翌年には 遣欧使節の一員として渡欧して教育事情を視察。 日本にも欧米なみの学校が必要であると強く感じ, 帰国後明治4年(1871) に 「共立学校」を創立した。佐野鼎が早逝したため, 初代校長には 高橋是清が就任。 明治28年(1895) には, 校名を「共立学校」から「東京開成中学校」に変更。
ちなみに, 開成学園は 東京の名門私立中高一貫校で, これまで 20年以上連続して東大の 合格者数日本一を記録している。
その後、公園が再整備されたらしく、小ぎれいに整えられた西側起伏の中央あたりに移設された。なお、文字等の刻まれた部分のペイントは経年劣化によりすっかり剥離しており、やや残念。たいした費用でもないので、同窓会等が再塗装するといろいろ好感度もアップするかもしれないが、昭和のおじさんたちは歴史あるものは色彩の無いもので塗り直すより朽ち果ててゆくもののあはれを楽しむ傾向がある。
写真
碑文
開成學園發祥の地
略年譜
- 明治四年
- 佐野鼎共立学校を創立
- 明治十一年
- 高橋是清初代校長に就任
- 明治二十八年
- 東京府開成尋常中学校
- 明治三十四年
- 私立東京開成中学校
- 大正十二年
- 関東大震災により淡路町校舎焼失
- 大正十三年
- 日暮里校舎を造営移転
- 昭和二十六年
- 学校法人開成学園
一九七八年
昭和五十三年 五月建設 開成学園
設計施工 鹿島建設株式会社