笠間焼 発祥に 係わる 登窯

かさまやきはっしょうにかかわるのぼりがま

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笠間焼きは江戸時代、安永年間に名主の久野半右衛門が信楽の陶工・長右衛門の指導で築窯したとされる。

江戸時代中期の安永年間(1770年代)、箱田村の名主久野半右衛門道延が、近江信楽の陶工長右衛門を招聘して窯を築き陶器を焼いたとされている。のち笠間藩主の仕法窯として保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られた。陶器商田中友三郎による「笠間焼」の広報・販路開拓が功を奏したという。

関東ローム層から出土する笠間粘土や花崗岩の風化によってできた鉄分を多く含む蛙目がいろめ粘土と呼ばれる笠間粘土は粘りが強く粒子が細かいため焼き上がりが丈夫。特徴が無いのが特徴、と言われる。

【リンク】笠間焼協同組合

写真


碑文

市指定文化財 平成14年3月18日

笠間焼発祥に係わる登窯

平成24年3月25日 笠間市教育委員会

地図

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笠間市箱田 付近