縣工 発祥の地

けんこうはっしょうのち

 
撮影:
2014年5月(写真 まさ・なちさん)
2015年12月(写真 まさ・なちさん)

奥羽本線 米沢駅から西に2km。米沢市街地の中心に位置する“松ヶ岬公園”(米沢城跡)の東側に“伝国の杜・置賜文化ホール”がある。この施設の前庭に小高い築山があって,その北東隅に「縣工発祥の地」という石碑と,米沢工業高校の沿革を記した副碑が建っている。

「県工」とは「山形県工業学校」あるいは「山形県立工業高等学校」の略称(愛称)。

明治30年(1897)「米沢市立工業学校」として,市議会議事堂を仮校舎として開校した。染織科・染色科・機械科が置かれ 修業年限3年であった。翌 明治31年(1998) に県に移管され「山形県工業学校」と改称。県内で唯一の工業学校であったため『県工』と呼ばれた。

大正9年(1920) になり,山形市と鶴岡市にも工業学校が設置されたため「県立米沢工業学校」と改称。1950(昭和25)年,戦後の学制改革により「県立米沢工業高等学校」と改称。平成9年(1997),現在地 米沢市川井に新校舎を建設して移転、創立100周年を迎えた。

写真

  • 縣工発祥の地 沿革
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碑文

縣工発祥の地

山形県知事 高橋和雄書

山形県立米沢工業高等学校沿革
明治30年(1897)
金屋十一番目に米沢市立工業学校として創立される
明治31年(1898)
山形県に移管され山形県工業学校と称する
県内唯一の工業学校として以来「県工」の呼称でしたしまれる
明治36年(1903)
県内一円および近隣県よりの入学者の為寄宿舎を設置する
大正9年(1920)
山形と鶴岡の県内二ヶ所に工業学校が設置され,
故に山形県立米沢工業学校と校名を改称する
大正12年(1926)
校歌を制定する
 作詞 土井 晩翆氏
 作曲 山田 耕作氏
昭和23年(1948)
定時制夜間課程が設置される
昭和25年(1950)
山形県立米沢工業高等学校と校名を改称する
平成9年(1997)
創立百周年・定時制三十年記念式典を挙行する
同時に現在地より米沢市川井に新校舎を建設し移転する

創立百周年・定時制三十年記念実行委員会
平成十三年

地図

地図

米沢市丸の内1丁目 付近 [ストリートビュー]