剣法 発祥乃聖地
けんぽうはっしょうのせいち
日南線
鵜戸神宮の本殿は,太平洋(日向灘)に面した断崖の中腹にできた洞窟の中にあり, 参拝するには 崖に沿って造られた石段を下りる必要がある。社伝によると 神社の創建は2000年前とされるが, 神話に伝えられる“海幸彦・山幸彦”が関わる伝承が残されている。山幸彦は 兄・海幸彦の釣り針を探しに龍宮に行き,海神の娘・豊玉姫と結ばれた。山幸彦は龍宮から戻り,豊玉姫はこの鵜戸の洞窟の産屋で 神宮の主祭神である『日子波瀲武鵜葦草葦不合命』を産み,その産屋の跡に鵜戸神宮が造られたと伝えられる。
鵜戸神宮は,足利時代に日本最初の剣豪とうたわれた相馬四郎義元(慈音)が剣法“念流”を,また室町時代には愛州移香が剣法“陰流”を,いずれもこの地において創始したと伝えられ,このため“剣法発祥の聖地”と呼ばれる。
相馬四郎義元は奥州相馬で生まれ,一遍上人の許しを受けて仏門に入ったが, 5歳の時に殺された父の仇を討ちたい一念で 独自に剣術の修業をはじめた。 諸国を行脚した後に鵜戸神宮の岩屋に籠もり,夢で剣術の妙を得たとされる。これが“念流”の誕生である。 相馬四郎はその後還俗して故郷に戻り 父の仇討ちを成就したという。また 伊勢国の愛洲久忠は,幼い頃から天才的な剣士として知られていた。 武者修行のため諸国を巡り 京都で住吉流の剣士と試合をして敗北。 36歳の時に 日向の鵜戸神宮にたどり着き,太平洋の荒波が形成した洞窟の神殿に籠もり, 剣法の奥義を悟ったとされる。これが“陰流”の誕生である。
念流・陰流とも,その後さまざまな流派に受け継がれた。
写真
碑文
剣法発祥乃聖地
鵜戸神宮ハ平安時代ノ初ニ勅号ヲ鵜戸山大権現仁王護国寺ト賜ワリ両部神道ノ大道場デアッタ此ノ怒濤巌ヲ噛ミ深緑苔ヲ湿オス荘厳ナ霊境ヲ慕イ八方ノ修験者ガ争ッテ参籠シ常ニ堂ニ溢レタ古典ニ依ルト奥州相馬ノ出身相馬四郎義元即チ慈音ハ鵜戸神窟ニ籠リ神示ヲ受ケテ奥義ヲ悟リ茲ニ念法ヲ開イテ世ニ剣聖ト謳ワレタ又伊勢ノ出身日向守愛洲移香ハ鵜戸権現ニ祈リ夢ニ神猿ヲ見テ奥秘ヲ悟リ茲ニ陰流ヲ創メテ世ニ創祖ト仰ガレタ故ニ技ヲ磨キ法ヲ鍛エ道ヲ修メントスル剣士ガ雲ノ如ク集マリ日夜松風ニ心ヲ澄マセ濤声ニ夢ヲ練リ幽玄ナ神威ニ触レテ士魂ヲ固メタサテモ剣ヲ撃ツ処足ハ大地ヲ踏ミ鳴ラシ声ハ御山ニ木霊シテ気勢盛ンニ広大ナ神域ヲ圧シタ其ノ後鵜戸山ヲ源流トスル剣法ハ漸次諸国ニ拡ガリ様々ノ流派ヲ生ミ近世日本ノ剣道ヲシテ万朶ノ花ト栄エサセタ誠ニ剣法発祥ノ霊地ト鑽仰サレル所以デアル茲ニ尊イ文花ノ跡ヲ顕彰シ此ノ碑ヲ建立スルモノデアル
昭和32年2月1日建立
剣法発祥鵜戸山顕彰会