児啼爺 発祥乃地
こなきじじいはっしょうのち
土讃線 大歩危駅から西に11.6km、林道小川平選の途中の開けた場所に、林道開通記念碑が崖上に建ち、路傍に児啼爺碑がある。
他に、当地から南東に8kmくらいの場所 県道272号 沿いに児啼爺像がある。
山城町は、平成18年(2006) に三野町・池田町・井川町・東祖谷山村・西祖谷山村と合併して三好市となった。
写真
碑文
児啼爺發祥乃地
京極夏彦書
児啼爺乃碑
京極夏彦書
日本民俗学の父 柳田國男(明治八年~昭和三十七年)が昭和十三年に「妖怪名彙」で紹介した「コナキヂヂ(兒啼爺)」は、徳島県山間部に伝わる妖怪である。
昭和四十一年以降、漫画家水木しげるが柳田の記載に姿形を与え、テレビアニメーション等の「ゲゲゲの鬼太郎」に登場させたことで広く全国に知られた。
「コナキヂヂ 阿波の山分の村々で 山奥に居るといふ怪。形は爺だといふが赤兒の啼聲をする。或は赤兒の形に化けて山中で啼いてゐるともいふのはこしらへ話らしい。人が哀れに思つて抱上げると俄かに重く放さうとしてもしがみ付いて離れず、しまひにはその人の命を取る(中略)。木屋平の村でゴギャ啼キが來るといつて子供を嚇すのも、この兒啼爺おことをいふらしい。ゴギャ〱と啼いて山中をうろつく(後略)」(柳田國男「妖怪名彙」。民俗学誌「民間伝承」昭和十三年六月号初出)
柳田門下生で慶応義塾学生であつた香川県の武田明(大正二年~平成四年)は、昭和十三年十一月の「民間伝承」誌の「山村語彙」に「阿波三好郡三名村字平での聴書」「コナキジジ子供の泣聲を眞似る怪。」と記述している。
三名村字平(現・山城町上名平 かんみょう・たいら)では、「コナキジジイが「泣く子を欲しい」と連れに来る」山に居つた・などの叱り文句が使われ、アザミ峠に至る山に居る老人姿の妖怪とされたと、幼少期に叱られた人々の記憶にかろうじてのこるのみである。(松本実=大正四年生まれ、上名津屋。平田五郎=昭和四年生まれ、上名平。平田辰一=昭和八年生まれ、上名柿野尾。平成十一年~十二年談)
なお、泣き声、赤子姿や重くなるという妖怪は、現在では「オギャナキ」などの名で木沢村岩倉や祖谷など剣山周辺の多くの町村に伝わる。
かくして、児啼爺は山城町上名平などで語られていた徳島県山間部の妖怪であることを、さらに後世に伝え残すために像を建立しここに記す。二〇〇一年十一月吉日 藤川谷の会
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