眼鏡レンズ 発祥之地
めがねれんずはっしょうのち
大阪市立田島小学校の西側に田島神社(大阪市生野区田島3丁目5-34)がある。南北に100mほど延びる参道の真ん中に大きな「石田太次郎顕徳碑」と「眼鏡レンズ発祥之地」碑が並んで建っている。
田島地区は明治から昭和にかけて, 国内有数の「眼鏡レンズ」生産拠点だった。後に「レンズの始祖」と呼ばれた石田太次郎はここ田島村で生れ, 丹波の国でレンズ研磨の技術を習得。 安政4年(1857) に 田島村にその技術を紹介し, 田島の家内産業に発達した。
大正2年(1913) に農村だった田島村に電力が引かれると, 眼鏡レンズ専門工場が生まれ, 最盛期には 200軒を超える業者が集まり, 日本一の眼鏡生産地となった。しかし 1960年代以降, プラスチックレンズの技術が開発され, 軽くて割れにくい優れた特性から ガラスレンズに取ってかわり, また 工場で大規模に量産されるようになったため, 田島のレンズ製造は急激に減少していった。
写真
碑文
眼鏡レンズ発祥之地
わが国の眼鏡レンズ発祥之地は, 生野田島町であります。安政四年始祖石田大治郎翁がレンズ研磨を手工業として当地に伝え, 農家の副業とし, 明治時代を経て来ました。大正五年本格的生産に乗り出し生産高五十万ダースの規模となり, 昭和十年には, わが国眼鏡 レンズ産地を確立しました。貿易も始まり戦時重要統制産業組合を経て, 昭和二十六年大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合を創立し, 医療用具レンズの生産地として各国に輸出し, 昭和五十年出荷額百七十二億円に達し隆盛を極めました。ここに百三十五年の歴史と産業の礎を記念し新たなる決意を後世に伝えます。
平成四年十一月吉日
大阪眼鏡レンズ
製造工業協同組合