葛飾区 セルロイド工業 発祥記念碑

かつしかくせるろいどこうぎょうはっしょうのち

京成電鉄 押上線の 京成立石駅と四つ木駅のほぼ中間, 奥戸街道と平和橋通りの交差点近くに 葛飾区立渋江公園(葛飾区東立石3-3-1)がある。この公園の中央付近に この碑が建つ。

日本のセルロイド製品の大半が 東京・葛飾区で生産されたと言われるが, これは 大正3年(1914) に渋江公園のあるこの場所に 玩具工場「千種セルロイド工業」が 設立されたことに始まる。皮肉にも 千種セルロイド工業は, 不況のために 早くも大正9年(1920) に廃業してしまうが, セルロイド工業は この地区に定着し 発達していった。

戦後 セルロイド製品は 日本の輸出品の中で重要な役割を果たしたが, プラスチック技術の 発展にともない 急速に衰退した。

この記念碑は, 3人の子どもが螺旋階段に座る彫刻が 花壇の中央に置かれ, その前に 昭和27年(1952) と平成2年(1990) に建てられた 2つの解説の碑が添えられている。彫刻は 表面がのっぺりした感じに作られており, セルロイドで作られた雰囲気を出している。

写真

  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 案内
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 碑文
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 碑文
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 モニュメント
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 背面
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 背面
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑 側面
  • 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑

碑文

葛飾區
セルロイド工業
發祥記念碑

大正三年四月 わがセルロイド工業界の先覺 千種稔氏が この地に初めて玩具工場を設けてより30有餘年 斯業は幾多の優秀な後継者たちの努力によって日に月に発展し 今や関係業者数万を越え その生産額はわが國輸出総額の過半数を占める繁栄を示し 實に葛飾工業地区の中心となるに至った 昭和二十六年秋 渋江公園が千種氏創業の由緒深いこの地域に開設せられるに當り この事業の發展を希う地元有志相はかってセルロイド工業發祥の地にふさわしい 平和と希望とを象った記念児童群像を長沼孝三氏に委嘱し 公園に美しい風景を添えると共に遥かに先人の偉業をしのぶよすがとした

昭和二十七年十一月二十三日

東京都葛飾区セルロイド
工業發祥地記念碑
 建設會有志

区登録有形民俗文化財

葛飾区かつしかくセルロイド工業こうぎょう発祥はっしょう記念碑きねんひ

所在地 葛飾区東立石3丁目3番1号
登録年月日 平成2年(1990)3月19日

わが国におけるセルロイド工業は, 明治41年(1908)に 日本セルロイド人造絹糸 と 堺セルロイドが設立されると共に 本格的生産が始まりました。
葛飾区のセルロイド工業は これらを追って大正3年(1914)に創業されました。 その中心となったのは, 故千種稔氏がこの地に設立した「千種セルロイド工場」です。 のちに この地域はセルロイド工業の街として繁栄しますが, それはここから 始まったと言ってよいでしょう。
このモニュメントは 渋江公園の開発に伴い, 昭和27年(1952)に建てられました。 この地域が葛飾区の近代工業の発展をになったことの証しとして 貴重な記念碑です。

東京都葛飾区教育委員会 

地図

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