明治大学 発祥の地
めいじだいがくはっしょうのち
有楽町の 数寄屋橋交差点前, ニュートーキョービル前の公園に 赤い記念碑が建つ。
明治初期, 司法省の設立した「明法寮」に学んだ 岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操 の3名は, 本格的な法律教育のために 1881(明治14)年, ここ数寄屋橋の島原藩邸跡に 「明治法律学校」を開校。1886(明治19)年には 神田南甲賀町に校舎を新築し移転。
1920(大正9)年に 明治大学となった。
写真
碑文
明治大学発祥の地
明治法律学校(現明治大学)は, 明治一四年(一八八一)一月一七日に 旧肥前島原藩主松平氏の上屋敷であった この地に開校した。創立者の岸本辰雄, 宮城浩蔵, 矢代操の三人は, 貢進生として鳥取藩, 天童藩, 鯖江藩を代表して大学南校に遊学し, つづいて明法寮でポアソナードにフランス法を学んだ。その後フランスに留学し, とくに「権利自由, 独立自治」の精神の普及をめざして本学を設立した。当時彼らはいずれも三〇歳に満たぬ白面の書生であった。
平成七年(一九九五)十一月二日
明治大学