明治学院 発祥の地
めいじがくいんはっしょうのち
築地の 聖路加病院 と聖路加ガーデンの間の通りを 北の佃大橋方向に進むと, 菓子の 塩瀬総本家 がある。その前に の北東、NTT東日本 明石町ビルと隣接する北側の集合住宅の境界付近に、黒い石碑が建っている。
江戸末期の 文久2年(1863), 横浜居留地に 私塾(ヘボン塾)が開設された。このヘボン塾は 明治13年(1880) に築地に移転し, これが母体となって明治20年(1887) に「明治学院」が発足した。
昭和24年(1949) に「明治学院大学」が設置され, 現在は 港区白金 および 横浜市戸塚区 にキャンパスがある。
画像をどうみても塩瀬前ではなく、現在地だろうとおもわれるので、塩瀬の件は取り下げ訂正します。
また、当時NTT明石町ビルとしてあった建物は平成25年(2013) 頃に取り壊され、駐車場になった。
令和7年(2025) 撮影の画像によると背面には副碑文が刻まれた銘板が貼り付けられている。
写真
碑文
明治学院発祥の地
明治学院は1877年(明治10年)ここ築地17番地に開設された東京一致神学校を基とする
これを記念しこの碑を建てる一九八七年十月三十一日建立
学校法人 明治学院
第九代学院長 平出宣道
1877年(明治10年)旧築地17番地のこの地に東京一致神学校が建てられた。これが現在の明治学院となった。この神学校は横浜にあった米国改革教会のブラウン塾の流れをうけ、米国長老教会のヘボン博士、タムソン博士フルベッキ博士らの協力とスコットランド一致長老教会の参加により三派合同で建設されたものである。明治学院50年史に「赤煉瓦の平屋造りで、屋根はフランス瓦で葺き、4、5段の石段を登って玄関に入るという見るからに小じんまりとした建物であった」とスルされている。
1887年(明治20年)東京一致神学校は、ヘボン塾、バラ学校、ワイコフの洗志学校などの流れをくむ東京一致英和学校および英和予備校と合併して「明治学院」の名のもとに東京府荏原郡白金村字玉縄台(現在の港区白金台)に移転した。