明徳 尋常小学校 開校 旧跡之碑
めいとくじんじょうしょうがっこうかいこうきゅうせきのひ
東京メトロ東西線 行徳駅から北西 300mに, 浄土宗の寺 法伝寺がある。境内に入って右手の植込みの中に 茶色の石碑が建っている。
- 1873(明治6)年, ここ法伝寺(当時 湊村新田)に「湊小学校」が開設された。
- 1889(明治22)年, 「明徳尋常小学校」と改称。この年に湊村は隣接する欠真間村と合併して 南行徳村となった。
- 1920(大正9)年 陽徳小学校と合併して「南行徳小学校」となり,
- 1956(昭和31)年 市川市との合併により 「市川市立南行徳小学校」となる。
- 現在の南行徳小学校は, 法伝寺より 1km南西(市川市欠真間1丁目)にある。
行徳地区は 江戸時代までは塩田が広がり 有数の塩の産地であった。 また 水運による交通の要衝として 大いに繁栄した。俗に「行徳千軒寺百軒」といわれるほどに 寺の数が多いのも特徴で, それが現在も続いている。しかし 明治中期に鉄道敷設が計画された際に 行徳地区を経由することに反対運動が起り, その結果 総武線は内陸側を通ることになり, 行徳は近代的交通路から取り残され「陸の孤島」となった。 さらに 大正6年の津波によって 塩田が壊滅的な被害を受けて消滅したため, 行徳の町はさびれてしまった。
1969(昭和44)年に地下鉄東西線が開通, 1988年(昭和63年)に京葉線が開通したことによって 「陸の孤島」が解消され, 住宅地・工業地帯として大きく変貌した。