童謡「みかんの花咲く丘」誕生の地 

みかんのはなさくおかたんじょうのち

高崎線 深谷駅から 北東に約1km。深谷城址公園の東に隣接している“富士浅間神社”の, 南に伸びる参道の延長上の 交差点脇に, 『童謡「みかんの花咲く丘」誕生の地』と書かれた標柱が建つ。また、神社の入口の鳥居の横に「みかんの花咲く丘」の歌碑と, 「加藤省吾顕彰碑」が建っている。

「みかんの花咲く丘」は 加藤省吾 作詞, 海沼実 作曲。昭和20年代に川田正子が歌って大ヒットした童謡で, ある年代以上の人たちには懐かしく思い出される歌だが, 今どきの子供たちは 恐らく知らないだろう。

この童謡は昭和21年(1946) の8月25日にNHKから放送されたが, 作詞・作曲は その前日 きわめて短時間の間に作詞・作曲されたという。加藤省吾の自伝「みかんの花咲く丘」わが人生 には、その時間は『24日の12時半から13時くらいの間』 だったと書かれている。


平成30年(2018) に再訪してみたところ、平成20年(2008) の時点ですでに古ぼけていた標柱が転倒して打ち棄てられていた。

写真

  • みかんの花咲く丘 誕生の地
  • みかんの花咲く丘 誕生の地
  • 富士浅間神社
  • 加藤省吾顕彰碑
  • 「みかんの花咲く丘」歌碑
  • 加藤省吾顕彰碑 背面
  • 富士浅間神社 拝殿
  • みかんの花咲く丘 誕生の地(2018)
  • みかんの花咲く丘 誕生の地(2018)
  • 加藤省吾顕彰碑(2018)
  • 加藤省吾顕彰碑 背面(2018)
  • みかんの花咲く丘 歌碑(2018)
  • 加藤省吾顕彰碑 みかんの花の咲く丘歌碑 (2018)

碑文

童謡「みかんの花咲く丘」誕生の地

加藤省吾歌碑
智形神社境内

加藤省吾顕彰碑

童謡「みかんの花咲く丘」は,およそ日本人であるなら,誰一人として知らぬ者はいない不朽の名作として多くの子供達に歌われ,親しまれ,子供達の豊かな情操を育む上で,多 大の影響力を及ぼしてまいりました。
 そして,この歌の作詞をされたのが加藤省吾先生でございます。先生は,昭和二十年五月,御両親の住んでおられた,当時の深谷町本住町に疎開されましたが,「みかんの花咲く丘」は,この後間もなく作詞されました。つまり,この名作は,深谷の地で,先生が故郷静岡に思いをはせながら,誕生したのでございます。
 戦後の困窮と混乱の時代に,「リンゴの歌」とともに,人々に希望と感動を与え,多くの日本人の心の琴線に,深く訴えたという意味では,この歌は,日本人の心の美しい側面を見事に歌い上げているのでございます。
 私も,この歌の,美しく,優しく,そして哀調を帯びた歌詞の一節一節を耳にするとき,深く感動せずにはおられま せん。先生は,このほかにも,「かわいい魚屋さん」を始め 「笛吹童子」,「怪傑ハリマオ」,「おらあ三太だ」等 当時の人気ドラマの主題歌も作詞され,しかも,深谷小学校の校歌までも作詞されておられます。
 当年七十七歳の先生は今も日本大衆音楽協会理事長の要職に就いておられ,また,平成元年の春の叙勲におきましては 長年にわたる作詞家としての功績により,勲四等瑞宝章を受章されました。
 先生の深谷での足跡を,ここに記録し,顕彰し,後世にそ の生涯の一節を伝えるとともに,偉大な作詞家の歴史を語り 継ぎ,本市の芸術・文化振興の一助とするため,市民有志の熱き情熱により,この歌碑は,建立の運びとなった次第でご ざいます。

平成四年四月吉日

深谷市長 福嶋健助 撰文謹書

地図

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深谷市本住町 付近 [ストリートビュー]