宮川 温州みかんの 発祥の地

みやがわうんしゅうみかんのはっしょうのち

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西鉄柳川駅から西側の宮川温州園(柳川市坂本町)の、南側道路に面した門の脇に案内が掲げられている。園内には顕彰碑も建てられた。

写真


碑文

宮川温州園
Miyagawa Unshu-en

この園は、我国の柑橘産業の飛躍的発展をなした宮川温州みかんの発祥の地で、昭和11年福岡県は原木を天然記念物に指定し、その保存につとめましたが、昭和23年枯死し、現在原木第2代を移植して、昭和36年10月宮川早生温州顕彰会により後世にその由来を伝える為顕彰碑が建立されています。

This is the farm where the Miyagawa Unshu orange was first planted and became the center of orange farming business in Japan.
In 1936, the Fukuoka Prefectural Government designated the original orange tree as a natural monument and attempted to preserve it, but in 1948, it died. Today, the second generation tree has been transplantd as the original tree. In October, 1961, the Association of Miyagawa Wase Unshu built a monument to hand down its history to generations to come.

宮川早生温州顯彰碑

福岡県山門郡城内村(現柳川市)の名家に生れた医師宮川謙吉氏は、長く教職にあって婦女子の薫陶に令名の髙い夫人千幹女史とともに、旧柳川藩主伯爵立花寛治の勧農殖産の志をうけ、かたわら園芸を愛好し、立花家々令吉田孫一郎氏から温州蜜柑の穂木を譲り受けて自邸内に自ら接木したところ、やがてその一枝に早熟で美麗な大果が結実しているのを発見し、大正五年(一九一六年)立花家農事試験場主催の品評会に出品した これを福岡県技師浅田岩吉氏が優良種と認めて増殖を勧奨したことにより、県内に普及し始め、特に八女郡の持丸明三氏と山門郡の田中亀蔵、石井佐吉両氏は率先して、この種の苗木育成と髙接につとめた
農学博士田中長三郎氏は大正十二年(一九二三年)以来原木を調査した結果、主枝野一分枝が芽樤変異として早生種が発言したことを確證し、大正十四年(一九二五年)これを宮川早生と命名して、学界に発表した 昭和四年(一九二九年)九州沖縄八県連合園芸共進会において、最優秀の賞を受け、以来本種は、樹勢強促、果形意大、外観品質共に良好で、しかも豊産性の経済的早生品種として、一躍広く業界に認められることとなった
福岡県は、昭和十一年(一九三六年)原木を天然記念物に指定しその保存につとめたが、昭和二十二年(一九四七年)おしくも枯死した
しかし、この原木の一重だから発した本種は広く全国に普及され、早生温州の王座を占めて、その栽培面積は、福岡県一千ヘクタール、全国一万ヘクタールに達する盛況をみるようになった。わが園の柑橘産業の飛躍的発展はこの宮川早生によりどころが、まことに大きいことを銘記すべきであろう
宮川早生発生以来五十年、ここに原木発祥の地を選び、原木第二代樹を移植、そのほとりに顕彰の碑を建てて、長く後世にその由来を傳えたい

千幹(ちもと)

地図

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柳川市坂本町 付近 [ストリートビュー]