日赤 発祥之地

にっせきはっしょうのち

鹿児島本線 木葉このは駅から 北西に500m。浄土真宗 徳成寺の門に向って右側に「日赤発祥之地」と刻んだ石碑が建つ。並んで「官軍病院跡」碑もある。

玉東ぎょくとう町は 西南戦争の際に, ここ徳成寺と正念寺などに野戦病院を置き, 敵味方の区別なく負傷兵を収容・治療したところとして知られており, 町全体として赤十字の発祥の地といわれる。町役場近くにある正念寺にも 発祥の地碑があると聞いたが, 残念ながら見つけることができなかった博愛社発祥縁起の地」と刻まれていた(2009)。

寺の近くには「宇蘇浦官軍墓地」がある。西南戦争で戦死した官軍兵士の墓である。 玉東町にはこの他にもう一か所官軍墓地が,植木町・明徳町など周辺の各地にも 多くの官軍墓地がある。

写真


碑文

日赤発祥之地

明治十年,西南役之田原坂戦ニ際シ,官軍ハ三月中旬,木葉 ノ徳成寺,正念寺,境木ノ民家ニ大小ノ包帯所ヲ設ケ戦傷兵ノ 治療ニ当ルモ軍医ノ員数足ラズ,コレヲ知リタル木葉ノ宗,田 尻,安成ノ三開業医ハ直に其ノ門弟ヲ率イテ来リ軍医ヲ援ケ日 夜将兵ノ手当ニ従事ス,偶戦況視察ニ来レル元老院議官佐野常 民,大給 恒ノ両氏ハ町医者ノ献身的ナル行為ニ感激シ,博愛 社ノ結成ヲ決意シ,五月三日,征討総督有栖川宮熾仁親王ニ願 出ヅ 即日許可セラレタリ,博愛社ハ後ニ日本赤十字社トナリ  ソノ病院モ二十年,日本赤十字病院ト改メ,陸軍々医総監橋 本綱恒コレガ初代院長トナル。実ニ木葉ハ日赤発祥ノ地ナリ

平成十年五月三日 建之

玉東町文化財保護委員長
元大阪府立阪南髙等学校長
元芦屋大学講師

勲四等 清田之長 
撰並書

地図

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玉名郡玉東町木葉 付近