渋谷区 近代学校教育 発祥の地
しぶやくきんだいがっこうきょういくはっしょうのち
山手線・埼京線・新宿湘南ライン、東急東横線・田園都市線、京王井の頭線、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線が乗り入れるターミナル 渋谷駅。東口駅前の歩道橋の陰に渋谷区の建てた碑がある。植込みの中に埋もれてほとんど忘れ去られた状態になっており、誰も気にもとめずに通りすぎる。
明治5年(1872) 渋谷区で初の小学校が開設された。正確な場所は渋谷駅前の東急文化会館およびその前のバスターミナル付近と言われる。
後に渋谷消防署の近くに移転し渋谷区立渋谷小学校となったが、学童数の減少により近くの他の2つの小学校と統合され、平成9年(1997) に神南小学校となった。東急文化会館も平成15年(2003) に閉鎖され、近い将来東急・地下鉄の駅に生まれ変わると言われる。
変遷が激しい地域である。
追記 2004/3
最近ここを通りかかったら、以前とは歩道橋周辺の様子が変わっていて、発祥碑は歩道橋の脇に建っていた。以前は碑の存在を知っている人が探し回ってようやく見つけられる場所だったが、現在は放置自転車に取り囲まれているが、歩道橋の横に誰にでも見られるようになった。
追記 2016/2/23
その後どのような変遷があったかわからないが、現在は宮益坂下にもあるようです。そちらの設置により、このページで紹介している表示がどのようになったのかは未確認です。
なお、このページで紹介する「地図」では、2002年当時に紹介しました付近を示しています。
また、当地 2丁目と3丁目の境界付近の表示は、明治通り下に東横線を埋める工事等の影響により、現在のところ表示が無いようです。こちらの表示を撤去することになり、発祥地により近い宮益坂下に移転したと考えるのが自然ですかね……
【リンク】渋谷区近代学校教育発祥の地 (2)、神南小学校
写真
碑文
渋谷区近代学校教育発祥の地 渋谷区渋谷2丁目
このあたりには、かつて渋谷川が流れ、その水を利用して水車がまわっていました。
明治5(1872)年に学制が公布されたとき、中渋谷村では三井八郎右衛門、森島伝兵衛、野口清右衛門の3人が中心となって、この付近の人びとから建築資金を集め、成富清風の提供した中渋谷2番地(明治通りと宮益坂の接するところ)の1,388平方メートル(1反4畝)の土地にかやぶき平屋建て69平方メートル(21坪)の校舎が建築されました。
明治8年3月15日に新学制により開校した当時は、学制にもとづき第一大学区第三中学区第十九番渋谷学校という名で、先生は3人、生徒は84人であったといい、渋谷区地域に初めてつくられた公立の小学校です。
ところが現在と違い公費は少ししかもらえないので、学校の経費はここにあった三井八郎右衛門の水車の利益金でまかなったといいます。
なお、その小学校は東京都渋谷区立渋谷小学校と名が変わっておりますが、現在渋谷区のもつ文教区的性格はこの明治8年にはじまりました。
東京都渋谷区教育委員会
渋谷駅周辺は、長い間開発が進行していて、町並みがどんどんかわりますね……