日本 そろばん 発祥の地
そろばんはっしょうのち
京阪京津線 追分駅から西。大津市が京都市山科区と接する境界付近,国道161号 西大津バイパスが東海道と合流する“勝野南ランプ”のループの中に“井筒八ッ橋本舗”の追分工場店がある。
店の入口(駐車場)に「日本そろばん発祥の地」および「大津絵発祥の地」と書かれた2本の石碑が並んで建っている。
日本にそろばんが伝来したのは,室町時代に中国の商人が取引のためにわが国に持ち込んだのが最初と言われる。当時,京都で毛利重能が指導して 普及していったと伝えられる。初期には 長崎で作られていたそろばんは,江戸時代の初期 慶長年間になって大津に製法が伝わった。当時、大津は交通の要衝で,商業の盛んな大阪と京都に近接していたこともあって,そろばん製造が発達した。《大津そろばん》
その後,大津から播州三木にそろばんの製法が伝えられて《播州そろばん》となり,また 江戸時代末期になって
井筒八ッ橋本舗の店内に,説明が掲示されている。
また、その説明に「走り井餅」が作られたことも書かれているが、横断幕は出るものの碑や看板が見当たらないのでコレクションに入れていない。
写真
碑文
日本そろばん発祥の地
追分と云う“まち”
追分と云うまちは昔,東海道のこの附近一帯,三条街道と伏見街道の分れみち場所でした。
この追分のまちは,次の産物で有名になりました。
- 中国から入った算盤は,此の地で日本産として発祥し,全国に広まりました。
- 京都から移住した金工がいろいろな針を発明し,京のみやげになりました。
- 同じく“大津絵”が始まり,現在に伝えられています。
- 此の附近の名水で“走り井餅”が造られ,街道の名物になりました。
- 追分から牛尾山にかけて生息する“ミドリセンチコガネ”は,特産のコガネムシとして有名です。
「追分」
このあたり追分は、逢坂の関から約一キロ京都側に下った所で東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたります。
古くから諸国の産物が往き交いその荷馬を追い分ける所から「追分」の地名の由来が来ています。
江戸時代には益々隆盛を極め、追分から大谷逢坂の関にかけて人家や土産物を売る商店、茶店等が立ち並び大変な賑わいでした。古来旅人達は、この地で休息を取り、走り井の清水で喉を潤し、この地が発祥の「走り井餅」「大津絵」「算盤」「針」の名産品を買い求めました。