飛田遊廓 発祥の地

とびたゆうかくはっしょうのち

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阪堺電軌 今船停留場から西に400m、「慈悲共生」と刻まれた慰霊碑があり、その背面に「飛田遊廓発祥の地」と刻まれている。碑は平成4年(1992) 6月に建立されたもので、飛田遊廓で暮らし、働いた人々を供養する意味も持つ。

飛田遊廓の成立は、大阪・ミナミの大火を契機としている。明治45年(1912) 1月16日に発生した大火で難波新地の遊廓が焼失し、その代替となる新たな遊廓の設置が計画された。大阪府は大正5年(1916) 4月、当時の東成郡天王寺村にあった飛田地区約2万坪を貸座敷免許地に指定した。その後、道路や街区、妓楼などの整備が進められ、大正7年(1918) 12月に飛田遊廓が開業した。

飛田遊廓は、難波新地から移転してきた遊廓を中心として形成された新しい遊廓であり、開業時には58軒の妓楼があったとされる。その後急速に発展し、昭和初期には200軒を超える妓楼が並ぶ大規模な遊廓となった。

参考

写真


碑文

飛田遊廓 発祥の地

平成四年六月吉日建立

慈悲共生

四天王寺管長敬書

地図

地図

西成区山王3丁目 付近 [ストリートビュー]