東京漫才発祥の地
とうきょうまんざいはっしょうのち
常磐線・地下鉄 日比谷線・つくばエクスプレス 南千住駅から 北に100m。駅の西側を通る山谷通り(通称“コツ通り”)商店街を北に進むと すぐ右側に栗本商店という 金物や瀬戸物などを扱う雑貨店がある。店先に「東京漫才発祥の地・栗友亭跡」と書かれた 小型の看板が出ている。
「栗友亭」は, 栗本商店の経営者 栗本友爾氏が 自宅兼店舗を改装して開いた 本格的な演芸場 である。開場は昭和30年(1955)。その後 東京漫才界の悲願であった定打寄席となったため 「東京漫才発祥の地」と呼ばれるようになった。開場した当初の 寄席の出し物は 浪曲が主で, 時には歌謡曲などが歌われた。翌年からは 落語と講談が中心になり, 当時まだ若かった 三遊亭円楽・橘家円蔵・林屋三平らが 稽古と 修行に励んだ。
終戦後 東京での漫才は沈滞していたが, 昭和30年(1955) 頃にリーガル千太・万吉を会長に “東京漫才研究会“が結成され, コロンビアトップ・ライト, 内海桂子・好江, 獅子てんや・瀬戸わんや 等多くの芸人がメンバーに名前を連ね, ラジオ・テレビに出演するようになった。しかし 既設の寄席は 落語が中心であり, 当時演芸としての地位が低かった漫才は 定打の寄席を確保するのが悲願であった。
昭和32年(1957) になって栗友亭を定打寄席として研究会が開催されるようになり, 栗友亭と 東京漫才研究会に親密な関係が築かれていった。
しかし 低料金で寄席を開いていたため 経営は苦しく, さらにテレビの普及によって 漫才を見るのに わざわざ演芸場まで出かける人も少なくなった。 ちなみに 入場料は 通常70円, 有名な芸人が出演する時には 100~150円だったという。 今とは貨幣価値の違う時代だったとしても, これでは 経営難になるのはおして知るべし である。客層も地元の人たちがほとんどであり, 地元商店などからの支援も寄せられたが 客足が伸びることはなく, 開場から4年後の 昭和34年(1959) に, 栗友亭は幕を下ろした。
平成30年(2018) 頃に気づくと、無いかも。令和2年(2020) には、栗本商店は解体された。
写真
碑文
東京漫才発祥の地
栗友亭 跡
1955-1959―― 問い合せ ――
荒川ふるさと文化館
TEL 3807-9234
(← コノサキ 素盞雄神社西側)