上方 演芸 発祥之地

かみがたえんげいはっしょうのち

大阪地下鉄 御堂筋線 動物園前駅から東。阪神高速 松原線 阿倍野入口 脇の狭い空間に高さ5mぐらいの大きな石碑が建っている。丸石で飾られた台座には、碑文が刻まれた石版が填められている。

「てんのじ村」は「天王寺村」の通称で, 天王寺公園の向い側にあり, 大正時代に大阪市に編入された地域。 道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため, 太平洋戦争前後には ここに 400人ぐらいの芸人が集まって住んでいた。戦災にもあわなかったため 戦後も古い長屋が残っていた。しかしその一角は昭和45年(1970) に開通した阪神高速松原線の建設によって取り壊され、周辺も再開発により 当時の面影は 現在ほとんど残っていない。

この碑は, 昭和52年(1977) に芸能界の有志たちによって 阪神高速の入口すぐ東側に建てられた。

写真

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  • 上方演芸発祥之地 背面
  • 上方演芸発祥之地 碑文
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碑文

上方演芸発祥之地

てんのじ村記念碑

昭和五十二年十一月吉日之建

仏法最初, 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は, また文化芸能淵叢の地でもあった。 往昔, 北は生国魂より南は天神森紹鴎社に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は, まさにその中心の地に当たる。昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集, 爾後, 上方庶民の文化, 演芸の再建, 飛躍の拠点となった。今回, 都市計画による地区改変に際し, 縁故芸能人, 地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾 せんとするものである。

昭和五十二年十一月八日

吉田留三郎 識

地図

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