都市型 保健所 発祥の地
としがたほけんじょはっしょうのち
地下鉄 日比谷線 築地駅から南東に400m。聖路加国際病院の南,道路を挟んだ向い側に中央区立 福祉センター タイムドーム明石(天文館)・明石町保育園・保健所などが入った 細長い複合ビルがある。この建物の西端の入口スロープの手すり下に「都市型保健所発祥の地」と刻まれたプレートが埋め込まれている。
関東大震災の直後,米国ロックフェラー財団から災害地復興援助の一環として,公衆衛生専門家の育成・訓練機関の設立について提案があった。これ基いて中央に教育機関を,都市および農村地区にそれぞれの訓練機関を設置することになり,昭和12年(1937)に 東大医科学研究所の敷地内に「公衆衛生院」を,埼玉県所沢市に「農村保険館」を,東京・京橋区に「都市保健館」を建設して 財団から日本に寄付された。これら施設に対して財団は総額350万ドルを拠出したとされる。
都市保健館は 都市住民の健康指導・相談センターとして,農村保健館は農村型のセンターとして,保健所のモデル的な役割を果たした。昭和12年(1937)に “保健所法”が制定され,農村保険館は所沢保健所に,都市保健館は京橋保健所と改称され,同時に全国各地に 40個所の保健所が設立され 母子保健・栄養改善・結核などの疾病対策が行われるようになった。
現在 保健所は都道府県の設置するものと,規模の大きい一部の市(東京の場合は23区)が設置するものとがある。つまり 公衆衛生業務は一種の二重構造となっており,また 保健所の他に“保健センター”という組織が設置されている場合もあり,外部から見るとそれらの役割分担が見分けにくい。
所沢の農村保健館についても、記念碑がある → 保健所発祥の地
写真
碑文
都市型保健所
発祥の地沿革
昭和10年1月 東京市特別衛生地区保健館として誕生
昭和12年12月 ロックフェラー財団の寄金による庁舎竣功
昭和19年10月 東京都立中央保健所となる
昭和23年10月 東京都中央保健所となる
昭和50年4月 東京都中央区中央保健所となる
昭和57年11月 現庁舎竣功