饂飩 蕎麦 発祥之地

うどんそばはっしょうのち

博多駅の北西600mの地に臨済宗 承天寺(福岡市博多区博多駅前1-29-9)本堂の裏側(方丈・書院のある側)の境内の隅に、金色の文字で「饂飩蕎麦発祥之地」と刻まれた3mほどの高さの石碑が建つ。

承天寺は臨済宗の寺で、聖一しょういち国師が開山となって、鎌倉時代の仁治3年(1242)に、博多の豪商 謝国明らによって建てられた。聖一国師は、水車を利用した製粉技術を記した設計図「水磨の図」(重要文化財)を宋より持ち帰り、この挽き臼技術による粉をベースにした食品、羹(羊羹の前身)・饅(まんじゅう)・麺(うどん・そば)の製法を日本人に教えたと伝えられる。

承天寺は仏殿(本堂)がある表の境内と、方丈などがある裏の境内の中間に、車道が通っていて二つに分断されている。歴史ある寺の敷地が道路で二分されているのはいかにも無惨である。

写真

  • 饂飩蕎麦発祥之地
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  • 承天寺

碑文

饂飩蕎麦発祥之地

東福管長 大道圓明

当、承天禅寺の開山、聖一国師は駿河の国の御出身で、嘉禎元年、大宋国に渡り、径山に至って無準師範禅師に参じ、辛酸苦修、在宋七年にして禅の大法を嗣 いで、仁冶二年(西暦1241年)目出度く帰国の第一歩を博多の地に印され承天寺を開き在住、京都東福禅寺を開山移られるまで、爾来禅の大法を拳揚される と共に宋の文化を普く我国へ伝へられたのであります。
その代表的なものに 羹 饅 麺 と共に「古文書水磨の図」に残る製粉の原理は、今日の製粉技術の根幹をなすものと云はれる粉挽きの技と共に庶民の常食として粉食の手法の原点を伝承の技として残されました。
星霜こゝに七百年、時代と共に薄れゆく伝承の史実を記し聖一国師の頌徳 羹、饅、麺 をこの地に於て始めて作られたことを記念し 碑を建て後世に残す。

昭和五十六年三月  福岡市長 進藤一馬
勲五等  長隆造建之

地図

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博多区博多駅前1丁目 付近