セーラー服 発祥の地

せーらふくはっしょうのち

福岡市営地下鉄 七隈ななくま線 薬院大通駅から浄水通りを南に約450m、博多市中央区薬院4丁目にある福岡女学校跡地である九電体育館前の電柱広告に、2017年1月16日「セーラー服発祥の地」が掲出された。

ただし、電柱広告を利用しているようなので、いつまで表示が継続するかはわからないものの、「eco musée はかた博物館」は電柱広告で歴史案内をするプロジェクトを行っていて都市景観賞を受賞している。当掲出はプロジェクトのナンバー109、110、111の3本となっている。

なお、予備調査時のストリートビューは2016年8月版で、掲示前のものだった。

参考

(ハンターとしては、九電体育館敷地に福岡女学校発祥の地碑を建ててもらいたいです)

写真


碑文

ニッポン セーラー服 発祥の地

福岡女学校跡

しゃれとんしゃあ!

監修/九州学研究会
芸術文化振興基金助成事業

ニッポン セーラー服 発祥の地(福岡女学校跡)

福岡女学校(現 福岡女学院)のセーラー服は、英国海軍ロイヤルネイビーの水兵服(1857制定)、「文明開化」の象徴である鹿鳴館ろくめいかんの洋装、二〇世紀初頭の巴里パリポール・ポワレの脱コルセット、ココ・シャネルの「マリーンルック」から欧米の女学生に流行した服装(通称 ピーター・トンプスン)など大きな時代の流れの中で、若きエリザベス・リー校長主導の下、大正十(1921)年に正式に制服として採用されました。それは和装よりも格段に活動的かつ、女性らしい清楚せいそさを兼ね備え、「キリストのこうばしきかおり》:」」」」を表すものでした。

この博多発のセーラー服は「しゃれとんしゃあ!」と、新しもん好きの博多っ子はもとより、全国的に評判を呼び、特に関東大震災(1923)以降、女性の活動性が求められる中、急速に日本中の女学校に広まりました。

一世紀を経た今なお、愛され続けているセーラー服は、福岡女学院から、そして博多の町から始まったのです。

監修/九州学研究会
芸術文化振興基金助成事業

ミス・ダイヤモンドとセーラー服(福岡女学校跡)

明治・大正の女学生は着物やはかま姿で登校していましたが、「ミス・ダイヤモンド」の愛称で親しまれたエリザベス・リー校長は、スポーツを通して女学生達との交流を深めようと、和装よりも活動的な服装を求め、自身の経験から米国の女学生の服装(通称ピーター・トンプスン)をモデルに簀町すのこまち(現 中央区大手門)の太田洋服店テーラー 太田豊吉の協力を得、八回もの試作をて、博多発の「セーラー服」を完成(1921)。それは、はかまやカーテンのひだから発想を得た、動きの自由度が高いプリーツ入りスカート。そのたけは、福博の男子学生達を胸キュンさせた「ミッション・ウォーク」を生んだ膝下丈ミディ!という革新的な短さ

さらに、ジャンパースカート形式でウエストの締め付けがない工夫など、画期的で独創的なものでした。

■翌年には、コットン素材のギンガム生地きじを使った、すずやかな海を思わせるブルー・カラーの夏用のセーラー服も完成しました。

監修/九州学研究会
芸術文化振興基金助成事業

3本の電柱に計6枚掲出されているとのこと。

電柱広告は道案内であるというルールがあるので(他に地域によって法令や自主ルールがいろいろある)、地名等は欠かせないが複写省略した

地図

地図

九電体育館前 付近 [ストリートビュー]