吉野家の創業店

よしのやのそうぎょうてん

波除神社境内の𠮷野家碑の碑文によると、日本橋の魚河岸で開店し、市場移転にくっついて築地に来たということなので、本当は日本橋が発祥地?

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5051

写真


碑文

ここ築地の地に、
牛丼の吉野家の創業店がありました。
𠮷野家の歴史は、かつて栄えていた日本橋の魚河岸で
明治三二年に開業したのが始まりです。
屋号は、創業者・松田栄吉の出身地である
大阪・𠮷野町より名づけられたと伝えられています。
その後、関東大震災の影響により、
大正一五年、魚河岸とともにこの地に移転いたしました。
東京大空襲によって店舗は焼失しましたが、
終戦後、すぐに屋台で営業を再開。
そして昭和三四年、「築地一号店」を開店したのです。
当初、具材には季節の旬な食材と豆腐なども
盛り込まれていましたが、
市場で働く人たちが牛丼を注文するのは、
牛肉が食べたいからなのです。
二代目社長、松田瑞穂は、
そんな想いに応えてメニューを改良。
より多くの牛肉と、味わいを深めるための玉ねぎだけを使った、
シンプルな牛丼を生みだしました。
この牛丼は市場で大いに愛され、
またたく間に各地へとひろがり、
日本人のお腹を満たす国民食となっていったのです。
平成二八年、再び市場の移転にともない、
「築地一号店」も移転することになりました。
この地で永きにわたり多くの方々に、
ご愛顧いただいてまいりました
「はやい、うまい、やすい」
𠮷野家の牛丼は、
まさにこの土地で育まれた味なのです。

地図

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波除神社 付近