注文の多い料理店 出版の地
ちゅうもんのおおいりょうりてんしゅっぱんのち
東北線 盛岡駅の北側、北上川にかかる旭橋上流の左岸、民芸品店 光原社本店(盛岡市材木町2-18)の中庭に石柱が立つ。
何の史実にも宗教にも基づかないファンタジー名作の著者である宮澤賢治は農林学校で教師をしていたが、農業書の出版をしていた一年後輩の近森善一と及川四郎とが宮澤の童話を持ち帰り、短編集としての出版を進めていた。版元となった「東京光原社」の名称は宮澤らが命名した。
推定1000部刷ったという当書は、飲食店向けの何かと勘違いされ童話集という認識されず、評価もされることなくほとんど売れず、200部は宮澤が買い取ったということだが、残りは及川が子供に配ったりしたほかどこに行ったか明らかでない。その後、杜陵書院(版元の杜陵出版部とは別会社)が復刻したが、戦時色の強い話を削除したりGHQの指示で表現を改めたりしたという。
光原社は、及川が引き継いだが、全12巻の予定だったイーハトーヴ童話の続編は作られることはなく、セレクトショップへと転換した。当時の光原社は現在地ではなかったようだが、地理的にどうこうというよりも出版の地として及川が引き継いだ縁の光原社の敷地としたのだろう。
なお、隣接するマヂエル館では、注文の多い料理店の初版本や資料等を拝める。
参考
写真
碑文
宮澤賢治イーハトーヴ童話注文の多い料理店出版の地
一九二四年
イーハトーヴ童話「注文の多い料理店」が世に出たのは一九二四年 賢治二十九歳のときで宮澤賢治が名づけた光原社出版によるものです
一九六五年七月