大日本 スキー 発祥之地
だいにっぽんすきーはっしょうのち
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン(信越本線)高田駅から南西に2Km。金谷山スキー場の頂上付近に“スキー発祥記念館”がある。記念館の横の道を上っていくと、少し開けた場所に展望台が、更に上ったところにオベリスク風の記念碑がある。
日本におけるスキーの歴史は明治44年(1911) に遡る。
日露戦争で日本がロシア帝国に勝利したことは世界中から驚嘆の眼をもってみられ、新興の小国日本の軍隊がいかにして強くなったかに関心が寄せられ、ヨーロッパ諸国の軍人が日本の視察に訪れた。オーストリア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)も日本陸軍の研究のため、交換将校としてレルヒ少佐を明治43年(1910) に日本に派遣、日本陸軍の研究を行った。
日本陸軍では、明治35年(1902) に八甲田山の雪中行軍で大きな事故をおこしたばかりだったこともあり、ヨーロッパで普及していたスキーの技術に注目し、レルヒにスキーの教授を要請、新潟県高田(現・上越市)の金谷山などで指導を受けた。ちなみにレルヒが教えたスキーは、ストックを1本だけ使うスキー術であった。
なお、レルヒは翌 大正元年(1912) 北海道に渡って旭川でスキーの指導を行い、その年に帰国した。旭川ではこれを記念して、春光台公園に「北海道スキー発祥之地」碑を建立している。
この発祥碑はスキー発祥20周年を記念して建立された。平成23年(2011) はちょうどスキー発祥100周年にあたるため、上越市では記念行事を開催している。
平成27年(2015) から、信越本線は廃止となり妙高はねうまラインとなった。
写真
碑文
大日本スキー發祥之地
川合直次題字
明治四十四年墺洪国参謀少佐テオドル,エドレル,フォンレルヒ氏軍事研究のため歩兵第五十八聯隊附として高田に在し餘暇を以てスキー術を同隊将校並に有志に授く是を我邦スキーの權與となす實に今に二十年なり茲に相謀り記念の碑を建て以て事蹟を不朽に傳ふ
正五位勲三等鶴見宣信撰
南雲清秉書