日本で最初に発掘調査された洞窟遺跡
にっぽんでさいしょにはっくつちょうさされたどうくついせき
氷見線の終点・氷見駅から北東に10km。能登半島の付け根,氷見海岸の北の端に大境洞窟がある。その洞窟の前には大境漁港があって,白山社の奥の大境洞窟住居跡(氷見市大境字駒首)の説明にて、日本初の発掘調査だったことが語られている。
すぐ横にあるエンニャマ下洞窟の説明にもほぼ同じことが記されている。
写真
碑文
国指定史跡
大境洞窟住居跡 大正十一年三月八日指定
この洞窟は、大正七年(一九一八)六月、白山社改築のための洞窟内の土砂を取り除いた際に、人骨、土器、石器等がたくさんでてきたことから注目を浴び、当時の著名な考古学者により、発掘調査されました。この洞窟が貴重とされる理由は次のとおりです。
- 日本で最初に発掘調査された洞窟遺跡であること。
- 落盤によって遺物を含む六つの地層が、時代順に区別されていること
(特に縄文時代と弥生時代のどちらが古いかを実証した。)洞窟は標高約四メートルにあり、約七千年前の縄文海進期に波の浸食によって形成されたものと考えられています。入り口は南西方向を向き、高さ約八メートル、巾約十六メートル、奥行き約三十四メートルで内部はしだいに狭くなり、いちばん奥には湧水がありました。
遺物を含む地層は落盤によって六つの層に分かれており、上にある層より下にある層の方が古い時期であることが分かります。
大正七年の発掘調査では詳細な測量図が作成されており、また、縄文時代の大型石棒のほか、抜歯された弥生人骨や顔面の装飾などが注目されました。富山県教育委員会
氷見市教育委員会