鰤大敷網発祥之地

ぶりおおしきあみはっしょうのち

氷見線の終点・氷見駅から北東に10km。能登半島の付け根,氷見海岸の北の端に大境洞窟がある。その洞窟の前には大境漁港があって,港に面して碑が建っている。碑の左手前に副碑があって由来が書かれているようだが,碑文は達筆で良く読めない。

氷見市は能登半島のつけ根に位置する海と魚の街。“天然のいけす”とも呼ばれる富山湾の北西部にあって,恵まれた漁場を利用した定置網漁が盛ん。“氷見ブリ”や“氷見イワシ”をはじめとする豊富な魚が獲れることで知られている。

大敷網おおしきあみ”は“大謀網だいぼうあみ”と同類の定置網の一種。富山湾では江戸時代以前から“台網”と呼ばれる定置網漁法が用いられていたといわれるが,1907(明治40)年に宮崎県から“日向式大敷網”が導入され,大正に入って上野八郎右衛門という人物がこれを改良し,網の形を魚が逃げにくい構造にしたことによって画期的な発展を遂げた。この方式は“上野式大謀網”と呼ばれ,後の“越中式大敷網”の原型となった。

大敷網は 春・夏・秋と季節ごとに網の形や場所を変えていたが,網の材料の変化などにより現在は年間を通してイワシ・マグロ・ブリなどの漁に共通に使用できる網に変わっている。

写真

  • 鰤大敷網発祥之地
  • 鰤大敷網発祥之地
  • 鰤大敷網発祥之地 碑文

碑文

氷見海岸 大境
明治四十年十月

鰤大敷網
発祥之地

昭和四十二年五月
 氷見市長 堀埜豊一 書

地図

地図

氷見市大境 付近 [ストリートビュー]